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小説「伝説巨神イデオン」を読んで【アニメノベライズを読む】

さて、今回は富野由悠季(富野喜幸)の小説「伝説巨神イデオン」角川文庫版を読んだ感想です。

このお正月にyotubeのサンライズチャンネルで映画「伝説巨神イデオン接触編/発動編」が期間限定(3日間ほど)で放映されたのを見て、以前から積んであった小説を読むのは今だ!と思ったわけです。

アニメ「伝説巨神イデオン」

『伝説巨神イデオン』(でんせつきょじんイデオン、英表記:Space Runaway Ideon)は、1980年5月8日から1981年1月30日まで、東京12チャンネルで全39話が放送された、日本サンライズ)制作のテレビアニメ。

放送時間は1980年9月25日放送分(第21話)までは毎週木曜18:45 – 19:15、第22話の放送日時の変更を挟んで、同10月10日放送分(第23話)より毎週金曜19:30 – 20:00(いずれもJST)。

本作品は、宇宙に進出した2つの種族が不幸な出会いを果たし、無限のエネルギー「イデ」を巡って誤解を重ねて泥沼の戦いを続ける物語であり、精神医学的な理論とバイオレンスな感性を融合した作品である。『機動戦士ガンダム』テレビシリーズ終了直後の富野喜幸(現・由悠季)を総監督に迎え、『ガンダム』の劇場版シリーズと並行して制作が進められた。制作体制にとどまらず、視聴率と玩具販売の不振で打ち切られながらも、後にスタッフとファンの熱意により映画化されるという、同作品と同様の経緯をたどった。さらに劇場版ではテレビシリーズでは放送されなかった物語の終盤に当たる部分も映像化され、登場人物全員が次々と壮絶な死を迎える。

wikipediaより抜粋

当時、私が住んでいた和歌山県では、少し遅れての放送だった記憶です。内容的には小学6年生だったので、あまり理解できておらず、コスモやシェリルがヒステリックに怒鳴るのが嫌だなというくらいの感想でした。中学1年生のときに映画版が公開されて見に行ったのですが、この時もよく理解できておらず、発動編はただ殺し合いが派手になっただけで、結局、イデがなぜ発動したのかもよくわからない、という感想でした。

5・6年前にAmazonプライムでTV版を改めてみたのですが、やっと内容が理解できて、TV版の後半イデがそれまで以上に暴走しだすのが、カララのお腹に子どもが宿ったからなのか、となんとなく納得した覚えがあります。その後、映画版も見たいと思っていたのですが、有料だったので手を出さず、いつかは見たいと思いつつもそれほど大した作品ではないと思っておりました。

この度、映画版を見て、接触編および発動篇序盤はTVのダイジェストで駆け足すぎるなと思いつつも、発動篇の新しく作られた部分に凄まじさを感じた次第です。あそこまで壮絶に殺し合いをさせるのかと。そして、現在の日本や世界の状況を考えると、お互いに理解し合えない世界の行く先というのは、このアニメにあるとおりではないかと考えてしまったりもしました。

初見のときに嫌だったシェリルのヒステリックさ、今見ると理解できる気がしますし、非常に魅力的な女性に思えます。また、このアニメの主人公はカララであり、シェリルや姉であるハルルとの対比に、物語のテーマにつながるものを感じられます。今見て思うのは女性キャラたちが非常に魅力的なこと。小学生の時に見た時は多分にコスモやデクの視線で、子どもにはわからない大人の世界の物語だったんだと思いました。

角川文庫版 小説「伝説巨神イデオン」

伝説巨神イデオンⅠ覚醒編

時は、はるかな未来。外宇宙の植民惑星「ソロ星」において、3体の巨大なメカニズムが発掘された。それは、かつてソロ星の支配者だった「第3文明人」の遺産であった。おりしも、発掘現場に、新たな異星人が出現。ふとした偶然から、地球人と異星人「バッフクラン」は交戦状態に入る。バッフクランの攻撃で父を失った少年ユウキ・コスモは、第3文明人のメカニズムの中に身を隠す。その時、眠っていた「何か」が目覚めた。見るまに合体する3体のメカ。そこに現われたのは、全長100メートルの巨神──イデオン!
アニメ界の巨星・富野由悠季が描くスーパーSF巨編、ついに登場

著者:富野由悠季
カバーイラスト:後藤隆幸
本文イラスト:後藤隆幸・小林誠
文庫:角川文庫
出版社:角川書店
発売日:1987/12/25

伝説巨神イデオンⅡ胎動編

地球の植民惑星「ソロ星」において発掘された3体のメカニズム。それは、かつてソロ星で栄え、滅んでいった「第3文明人」の遺産であった。ふとしたことから戦闘状態に入った異星人同士、地球人とバッフ・クランは、この3体のメカニズムが合体した姿「伝説巨神イデオン」をめぐり、破壊への道を歩むことに──。アニメ界の巨星・富野由悠季の傑作、いよいよ燃える、第2巻!

著者:富野由悠季
カバーイラスト:後藤隆幸
本文イラスト:後藤隆幸・小林誠
文庫:角川文庫
出版社:角川書店
発売日:1988/1/25

伝説巨神イデオンⅢ発動篇

イデオンを動かす、意志あるエネルギー「イデ」は、地球人とバッフ・ クラン──ふたつの知的生命体を滅すことを望んでいるのだろうか? ふたつの異星人同士の戦いは、最終局面をむかえ、ついに「無限力イデ」が発動する時がやってきた。はたして、知的生命体は、イデに裁かれるのか、それとも──!?
富野由悠季の傑作ロマン、ついに結末! 戦慄のラストシーン!!

著者:富野由悠季
カバーイラスト:後藤隆幸
本文イラスト:後藤隆幸・小林誠
文庫:角川文庫
出版社:角川書店
発売日:1988/2/10

角川文庫版について

小説「伝説巨神イデオン」は1981~1982年にかけて、朝日ソノラマ社ソノラマ文庫より出版されました。角川文庫版は本文はそのままにイラストを変更して出版されたものです。

各巻本文の終わりに「この作品は、昭和〇〇年◯月、朝日ソノラマ社より、文庫本として刊行されました。」とだけあり、加筆や修正はされていないようです。

ソノラマ文庫版との大きな違いは、イラストにおけるキャラデザイン・メカデザインです。

アニメを見た後だと、キャラ・メカどちらも違和感がありますね。なお、カバーのキャラは1巻カララ、2巻コスモ、3巻カーシャです。ソノラマ文庫版だと第1・2巻イデオン、3巻シェリル。角川版はなぜ3巻をシェリルにしなかったのだろう。小説だとカーシャ存在感がないのよね。

読んだ感想

まず全3巻通して、映画版と同じく中盤まではTV版のダイジェスト、第3巻は映画発動編のわりと忠実なノベライズだと思いました。

第1巻は特にTV版のダイジェスト的なのですが、映画版ともまた違い「小説ならでは」の部分があります。カララの内面がしっかりと描かれているのは、やはり小説ならではないかと。またバッフ・クランの背景などが、アニメよりもよくわかります。アニメだとどうしてもメカを活躍させなければならないですが、小説だと逆にアクションシーンよりは物語の背景世界が描けます。

ただTV版の序盤ではソロ星で地球とバッフ・クランの戦闘が繰り返されるのですが、そこは映画版同様、端折ってしまっているのが残念です。TV版であった地球人側が白旗を掲げたのに、それはバッフ・クランでは宣戦布告であった、のくだりなんかは面白かったのですが、そういった地球人とバッフクランのボタンの掛け違いがあまり描かれていないのはもったいない。ある程度カットしなくてはならないのは仕方がないのですが……

第1巻で面白いと思ったのが、イデオンやソロシップのデザインをバッサリと切っているところです。

「イデオンにしてもソロ・シップにしても、地球的概念でいうところの船とか人型のマシーンとしてのデザインからみれば、洗練されていないことおびただしい。これを建造した第六文明人と称される知的生命体の嗜好が地球的ではないことは確かであった。はっきりいって外型から船の建造目的なぞ予測することはできない」

この頃のロボットアニメが、おもちゃのデザインありきで作られていたので、イデオンやソロシップのデザインに対する痛烈な皮肉でしょう。

あとTV版であったかどうかわからないのですが、コスモの母が登場するシーンがあります。ここではコスモの家庭の背景が描かれるのですが、ちょっと唐突に登場するのでびっくりします。それが後に何か影響があるのかというと、そうでもなかったのでことさらこのシーンに疑問を抱きました。

個人的に全3巻の中で1番楽しめたのが第2巻。シェリルとカララが哲学的な会話をしたり、シェリルがソロシップのクルーとの会話の中で、哲学者の名前をだしつつ考えを整理し、イデ≒イデアを語るシーンは、小説ならではの「読む面白さ」でスリリングでした。こういうのこそ小説だから描けるものです。それでいてイデオンの戦闘シーンもしっかり描写されていて、ロボット物小説としての面白さも外していないです。このあたりのバランスが第2巻は1番良いと思います。

あとはアニメ(TV版・映画版)とも違う展開の、キッチ・キッチンの最後が衝撃的で読んでいて辛いです。またギジェが終始、イデを手に入れた地球人が善きもので、バッフ・クランは悪しきものではないかと、自問しているのが印象的。この善と悪の対比でしか考えられないところに、ズオウ大帝の作り上げたバッフ・クランの社会の見方があり、最終的にバッフ・クランはその価値観からなかなか抜け出せていないのだなと思ったのです。

このあたりを映し出すのが、カララとベス、シェリルとギジェ、ハルルとダラムの3組で、この3組こそがイデオンの物語の核だと思うのです。なお、小説ではコスモとカーシャの関係があまり描かれません。とくにカーシャは存在感が薄いです。

と、第2巻まで読んでいろいろと想像が浮かび上がり、読書として非常に楽しい時間でした。

で第3巻も楽しみに読み始めたのですが、ちょっと理屈っぽくなりすぎて興ざめになってしまいました。第2巻くらいのエンタメ性が欲しかったといえば良いのでしょうか、物語的な面白さよりも”イデとは?”という部分にフォーカスがいってしまい、ずっと理屈を読んでいるような気になってしまいました。

映画を見た後で読んだので、戦いの状況を理解できたけど、見てなかったら物語の流れがわかりづらくて、デスドライブ(ワープ的なもの)の繰り返しで何がどうなっているのかどこで戦っているのか、解らなかったんじゃないかなとも思う。

と思いつつも、逆に映画を見ずに読んだほうが、映画との比較として読むより小説として楽しめたのではないか?とも。

なにはともあれ映画発動編と同じく、みんな死にます。映画だと直接的でキツイですが、小説だと文章なので、そのシーンが強烈との印象は残りません。最後はイデは何がしたいの? イデとは? など、そういったものが中心となり、壮絶な戦いがすべてイデに操られているもののようにも感じました。

最終的にイデはカララとベスの子メシアを選択するわけですが、まだカララのお腹にいる状態のメシアにすべてを委ねることであり、メシアが成長し、何らかの意思を持った時にそれはイデが望んだ意思であるとは限らないのでは? なんて思ったりもしました。

映画を見終わった後、凄まじい作品だと思ったことは、アニメ「伝説巨神イデオン」の項で書きましたが、小説もほぼ同じような内容ですが、凄まじいというほどの感想を持てませんでした。

これはアニメに感じた「凄まじさ」というものが、異星人といえども見た目同じ人間の殺し合い、死にゆくさまを、映像・作画で見せつけられたことから来る感想であったのではなかろうかと。そういう見方で考えると、映画のキャラクターデザイナ―湖川友謙の力があってこそなのではないか。そうなると後藤隆幸デザインのキャラが彩る角川文庫版で読むよりも、ソノラマ文庫版で読んだほうが良かったのかもと思ったり。

で結局のところ、小説版が面白いのかどうかというと、面白いです。この小説をもって凄まじいとまで言えませんが、映画「伝説巨神イデオン」を面白いと思った方には、小説を読むのをおすすめします。アニメを理解する参考になると思います。

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