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「千歳くんはラムネ瓶のなか」原作1巻&アニメ1~4話より雑感

さて、今回はアニメの放送が始まって賛否両論で話題の「千歳くんはラムネ瓶のなか」に関してです。とりあえず既読の原作1巻と、そのアニメ化部分である1~4話を中心に色々と考えたことを記したいと思います。なお、作品を理解するために『このライトノベルがすごい!2021』の作者インタビューもサブテキストにしております。

原作1巻を既読、アニメ1~4話視聴済みでないと、読んでもわからないと思います。思いついたことをダラダラと書き殴っただけなので、ご了承ください。

小説「千歳くんはラムネ瓶のなか」

著者:裕夢
イラスト:raemz
文庫:ガガガ文庫
出版社:小学館
発売日:2019/06

「五組の千歳朔はヤリチン糞野郎」──学校裏サイトで叩かれながらも、藤志高校のトップカーストに君臨するリア充・千歳朔。彼のまわりには、外見も中身も優れた友人たちがいつも集まっている。

圧倒的姫オーラの正妻ポジション・柊夕湖。努力型の後天的リア充・内田優空。バスケ部エースの元気娘・青海陽……。

仲間たちと楽しく新クラスをスタートさせたのも束の間、朔はとある引きこもり生徒の更生を頼まれる。これは、彼のリア充ハーレム物語か、それとも──?

新時代を告げる“リア充側”青春ラブコメ、ここに堂々開幕!!

ラムネの瓶に沈んだビー玉の月

「千歳くんはラムネ瓶のなか」(以下、チラムネ)は、2018年の第13回小学館ライトノベル大賞の優秀賞受賞作で、応募時のタイトルは「ラムネの瓶に沈んだビー玉の月」。選考に当たった浅井ラボからは、問題作との評価。

小学館::ガガガ文庫:第13回小学館ライトノベル大賞 最終選考

問題作です。出版にありがちな惹句としてではなく、本当の問題作で、編集部でも評価が分かれ、私も評価を定めにくい作品でした。作中の無邪気な邪悪さと暴力性という暴投は、大きな誤解を招くと感じました。
一方で新人さんが小賢しさで「今って、こういう作風が受けるんでしょう?」と商業出版を意識しすぎると、小さくまとまります。そして最初の枠から生涯出なくなることが多いです。
算盤勘定は後でいくらでもできるので、新人さんは最初くらい全力で暴投していいし、するべきでしょう。いずれ制御が必要にしても、まず受け止める懐の深さが新人賞にだけはあっていいはずです。
暴投を単なる蛮勇で終わらせるか、慈愛とできるか、未知数さを含めて優秀賞としました。

第1巻のあとがきによると、著者は浅井ラボよりA4六枚に渡る指摘をもらったとのこと。

読んだ感想ファーストインプレッション

まず、この1巻を読んだのは、アニメ放送開始前、ツイッターでチラムネ第1巻にかなり強めの拒否反応をした感想を読んだことに刺激されてです。ここまで否定されるなら、ちょっと読んでみたいと。それまではアニメが始まったら、見ようくらいの軽い気持ちでした。

ということでこの第1巻、賛美両論、どちらかというと否が多い、2巻からが面白いなどの意見があることを知ったうえで読みました。さらに作者が純文学や一般文芸を好んでいた、とのことで、やや批判的な目を持っていました。悪い言い方をすると、純文学を目指した人が諦めてライトノベルを書いた、そんな偏見を持っていたのです。本当に面白いのか?と。

ところが読んでみると、面白くてイッキ読みでした。あらすじを読んだ時点で「野ブタをプロデュース」や「弱キャラ友崎くん」的なものと感じており、物語的な新鮮さは特にありません。ラノベとしては、リア充を主人公にしたことが新しさではあったのでしょうが、新鮮な驚きのようなものはなく、どちらかというと映画「マイ・フェア・レディ」のようなオーソドックスな物語に、楽しい会話文で引き込まれました。

私自身の学生時代は、今で言う陰キャ、当時ではネクラなんて呼ばれたものでした。オタクという言葉は一般的ではなく、アニメ好きはマニアと呼ばれていたでしょうか。そういう立場からすると、読んでいて共感を覚えるのは、主人公リア充千歳ではなく、引きこもりオタク健太です。どちらかというと、健太目線で物語を読んでいました。

あまり語られていないように思われますが、千歳と健太のかけあいが軽妙で結構楽しいです。リア充千歳も相互理解ということで、健太が好きなラノベを読んで、ラノベタイトルをネタにするような会話があったり、二人の距離が近づいていき、健太の変化する様子が楽しめました。結末あたりでは若干の疑問はありましたが、総じて物語自体は楽しく読めたと思います。

ただ、文章的なところで、地の文がいただけません。比喩を多用したり(タイトルからして……)、情景描写であったりが、どうしても気取った感じがしてしまい、好みではないのです。いかにも純文学が好きなんだろうな、と。聞くところによると、村上春樹的?なのでしょうか。

また主人公が進学校に在籍し成績優秀、思考も深いものを持っていて、でてくるセリフやモノローグも老成しているというか。気取った感じ、鼻につく感じです。

ということで、読み終えた直後の感想としては、面白いけど好きではないかなと。登場するキャラクターの青臭さはいいのですが、文章の臭さが気になりました。で、続きは読まなくて良いかな、と判断しました。

アニメ化について

さて、読み終えたあと、アニメが始まりました。原作1巻にあたる序盤が放送された現在は、ツイッター上では賛美両論、どちらかというと否が多い、これは原作と同じようです。アニメを見て、ツイッター上の感想を読んで、ということを繰り返しました。自身の意見を再確認し、他者の意見を読み、物語を再読するなどしているうちに、チラムネのアニメが好きになってきました。作品自体というよりも、作品を中心としたムーブメント、今のところあまり良い方向への動きじゃないけど、放送が進むとどうなっていくのか、そういったところに興味が湧いてきます。

もともと原作2巻からが本当のチラムネ、第3~4巻が面白い、という話を聞いていたので、アニメ序盤の不評が、1クール終わった頃には絶賛に変わるかもしれないという期待もあります。

なお、アニメを見てから原作を読み返すと、また違った面白さがあります。アニメで省略されたところ、変更されたところ、そういったところをチェックしながら読むと、アニメ制作者側の意図が読み取れる気がします。

原作1巻の問題点?

アニメを見て、原作を読み返す、そういうことをしている時に抱いた感想を。

まず原作1巻の何となくしっくりこない部分は、構造的な歪さではないかと。主人公がリア充側なんですが、物語としては陰キャが陽キャ側になっていく物語。ちなみに同じガガガ文庫の「弱キャラ友崎くん」は、オタク側の視点で描かれており、変わっていくさまを描きつつも、オタクらしい矜持は持ち続けているように読めます(1巻だけ既読)。

チラムネ1巻も健太視点だけで考えると、同じようにオタクが変化していく物語で、かつて所属していたサークルのメンバーを見返す物語。最後は主人公千歳の力での、「ざまぁ」的展開です。健太側から見ると、自身に手を差し伸べてくれ、ピンチを救ってくれる主人公は、作中で健太が呼称するように「神」であり、スーパーヒーローなわけですが、描かれている主人公は結構悩んだり、女子にアドバイスされたりと、完璧ではないと。

このあたりに歪さを感じるわけで、スッキリとしたヒーローでないところが、この物語をスッキリと楽しめない理由ではないかと考えたりもしました。ある意味、主人公千歳の内面的な部分が描かれることが、足を引っ張っているのでは?と。作者としては千歳を描きたいのだろうけど、読む側としてはなかなか共感しにくいと。

また、作者があとがきで「ジャンル問題作」という言葉をだしているのですが、陰キャ側の読者がどちらかというと多いであろうラノベで、ラノベ読者や陰キャに対する風当たりの強い言葉を主人公が発するというのは、このライトノベルというジャンルにおいて問題作であるといわれても仕方がないわけです。わざと読者にストレスを与えて、引っ掛かりをつくっていく戦略なのかもしれませんが、読者の中には「読むのキツイ」という反応をする人も多いと思います。これはアニメ放送開始直後も、アニメに対して、まさしくそういうコメントを多く見かけました。

最後にヒロインたちのことですが、チラムネのビジュアルを飾るのはたいてい5人のヒロインたちです。ポスターなんかでは、千歳がいないものも見かけた気がします。アピールするのは、主人公よりヒロインなのです。しかし原作1巻ではこの5人のヒロインたち、印象に残りませんでした。まず誰もがメインとなりうる要素を持ったヒロイン5人を、1冊の中でしっかりと描くのは、普通に考えて難しくて、しかも物語は主人公と男オタクの物語ですから、脇役以下の存在となるのは仕方がありません。

だから1巻において彼女たちは顔見せ程度で、あまり個性が見えません。しかも、5人全員、美女、いい人、主人公に好意を抱いているということで、うわべだけが描かれているように思えます。これは物語自体の構造的な部分なので仕方がないとはいえ、やはりモヤッとするところです。とくにアニメ化に際して、ヒロインたちを目当てとする人が見れば、主人公とヒロインとの関係が深く描かれないという不満を持つことになってしまいます。

これは原作2巻以降で解消するらしいのですが、原作1巻だけで見ると、不満の残るところだなと。私としては、第1巻で人間的で良かった女子は、オタサーの姫的な、健太が以前告白して振られた相手です。登場するのは最後の方だけですが、一番人間味があってこういう娘が可愛いと思えるのです。

以上、アニメを見て原作を読み返しての雑感です。原作の話とアニメの話がごっちゃになっている部分もあるので、わかりづらくてもうしわけないですが、現状、切り離して考えられないのでご了承ください。

このライトノベルがすごい!2021インタビューより

アニメにハマるうちに、原作についてもっと考えたくなった私は、存在は知っていたけど読んでいなかった『このライトノベルがすごい!2021』(以下、このラノ2021)の作者インタビューを読むことにしました。

チラムネは、このラノ2021で文庫ランキング1位となりました。それを受けての作者インタビューで、この時点で4巻まで出版されているので、ややネタバレになりそうな話もあるのですが、デビュー作である第1巻や作風にまつわる話も語られているので、チラムネ1巻を理解するテキストとしては、最適なのではと思っております。実際このインタビューをもとにした内容が、wikipediaに掲載されていたりします。

まずは原作第1巻について、作者としては、エピソード0のような扱いであると。このラノ2020での順位が19位、このときは第1巻のみが対象期間内の作品。このラノ2021では、2・3巻が対象でランキング1位。第1巻のリア充という逆張りのトリッキーな設定が受けたのではなく、作者が本来描きたかった「青春ラブコメ」が気に入ってもらえたのかな、と語っています。

リア充を主人公にしたことに関しては、とくにリア充という設定が斬新だともキャッチーだとも意識しておらず、新人賞を受賞した時の、「設定が新鮮」という評価には正直ピンとこなかったとも。

ぼっちやオタクが主人公だと、ヒロインと出会うための理由や舞台を作らなくてはならない。ど真ん中王道の青春ラブコメを書こうと思っていて、「美少女ゲームのプロローグや共通ルートをすっ飛ばして個別ルートが見たい、そのためには主人公が最初からモテて当然、美少女に囲まれており、好感度が高い、としていまえば余計な設定がいらず、恋愛状態にもすぐに移行できる(P48より)」と考えてのようです。その主人公こそが、リア充だと。

また、「1巻ではライトノベル的な文脈に乗せて主人公を説明するために、あえてクラス内のカーストやリア充と非リアといった対比を入れています。まずは千歳朔を読者に受け入れてもらう必要があると思った(P48より)」

以上から考えるに、まず第1巻は新人賞応募作なので、作者が本来描きたかったものとは少し違った作品なのかなと。またリア充主人公が斬新だと評価されたけど、そこは狙っていたわけではない。第1巻のオタクを導く物語は、主人公を説明するための物語。本来描きたかった部分の前段階だから、エピソード0なのでしょう。

ただこのエピソード0はそれほど評価されなかったけど、本来描きたかった、ど真ん中王道の青春ラブコメ、第2・3巻を書いたら、このラノにおいて評価されたと。

作風に関しては、「チラムネは一般的なライトノベルと比べると地の文も多いですし、情景描写や比喩も多用しているのですが、そこはこだわっている部分です。会話だけでは伝えられない、視点人物の感情を情景描写や比喩などの文章表現に込めています(P50より)」

「小説の文章は、書かれている意味がそのまますべての情報になるわけじゃないのが面白いところですよね。文章やセリフは、その場でその人物が思ったり言ったりしたことであって、決して作者が出したアンサーではない。文章に込められた意味や意図を考えるようになると、小説をもっと楽しめるようになります(P53より)」

文章に関しては、純文学や一般文芸畑の人らしい発言と思います。ただ、個人的にはこういった文章を楽しむ作品はメディアミックス、特に台詞が流れていくアニメには向いていないのでは?という疑問が、チラムネアニメを見て思い浮かびました。

もう一つ、このラノ2025における、人気作家コラム「この20年で変わったこと、変わらないこと」企画内で、裕夢氏の興味深い記述があります。「1・2巻のころは過剰にライトノベルを意識して(無知ゆえの偏見多々あり、謝)強い言葉や派手な展開、下ネタなんかが多く、そのくせ文体はオールドタイプ(P135より)」とあって、やはりライトノベルっぽくしようとしていたんだなと受け取れます。特に下ネタ(胸がどうとかブラがどうとか)に関しては、あえてやってたんでしょうね。あれはいらないと思うのです。

このライトノベルがすごい!ランキング変遷

「千歳くんはラムネ瓶のなか」はこのライトノベルがすごい!殿堂入り作品です。アニメ化されずに殿堂入りしたのは、この作品が初めてです。

初登場がこのラノ2020で文庫ランキング19位(新作ランキング8位)、このラノ21、22では文庫ランキング1位、このラノ23では文庫ランキング2位で殿堂入りとなりました。2019年に第1巻が出版されてから、わずか4年たらず、また裕夢氏にとってはこれがデビュー作であるわけで、この短期間での殿堂入りは脅威です。

ただ原作第1巻に関しては、それほど評価が高くなかったように思われます。選考委員による、「問題作」評価もありました。ここではこのラノでチラムネの評価がどのように変遷したのかを調べます。

なお、このラノでは協力者アンケートとWEBアンケートによりポイントが計算されます。協力者ポイントはどちらかというと新作中心にランクインしやすく、WEBポイントは人気作、特にアニメ化された作品などが上位に来る傾向があります。このことから新作のときは協力者ポイントが高く、人気作になっていくとWEBポイントが高くなっていきます。

このラノ2020

このラノ2020対象期間内に出版されたのが、2019年6月発売の第1巻。このラノ2020では、文庫ランキング19位、新作ランキング8位、文庫+単行本の総合ランキング21位。

協力者ランキング:25位(45.65ポイント)、WEBランキング:21位(28.55)

実は新作登場時、協力者ランキングが結構低いのです。それに比べるとWEBランキングは新作としては第3位なのです。協力者に評価されて、翌年WEBランキングで上がってくるのが一般的なパターンですが、新作時にWEBランキングのほうが上位というのは、珍しいと思います。

このラノ2021

このラノ2021対象期間内に出版されたのが、2019年10月発売の第2巻、2020年4月発売の第3巻。このラノ2021では、文庫ランキング1位、文庫+単行本の総合ランキング1位。

協力者ランキング:1位(155.56ポイント)、WEBランキング:6位(55.57)

やはり2巻以降が協力者にも評価されたようで、このラノ2021で1位獲得です。2巻3巻で協力者に「発見」されたともいえますが、この時点でWEBランキングがすでに一桁。このラノ2020で評価されたから、WEBランキングがあがったのではなく、ラノベマニア層以外にすでに評価されていたと考えてよいのかもしれません。

このラノ2022

このラノ2022対象期間内に出版されたのが、2020年9月発売の第4巻、2021年4月発売の第5巻、2021年8月発売の第6巻。このラノ2022でも、文庫ランキング1位、文庫+単行本の総合ランキング1位。

協力者ランキング:4位(81.25ポイント)、WEBランキング:2位(117.91)

このラノ2021で1位を取ったこともあって、販促に力が入って、それまで届かなかった読者層にも読んでもらえた、と巻頭インタビューにあります。この時点でも協力者ポイントが高いので、作品としての評価が一過性のものではないと受け取れます。

このラノ2023

このラノ2023対象期間内に出版されたのが、2022年3月発売の第6.5巻、2022年8月発売の第7巻。このラノ2023でも、文庫ランキング2位、文庫+単行本の総合ランキング2位。

協力者ランキング:16位(50.00ポイント)、WEBランキング:2位(255.70)

さすがに協力者ポイントが下がり、僅差で「ようこそ実力至上主義の教室へ」に負けて第2位。しかし、この年を持って殿堂入りとなりました。本来ならこのラノにランクインすることで、販促につながるのですが、人気がありすぎて殿堂入りしてしまい、翌年以降の宣伝が難しくなったとも言えます。たとえアニメ化してもランクにはいることがないので、ある意味殿堂入りしたのは、出版社にとってはうれしくないことなのかもしれません。

ラノベ好き書店員大賞2020

ちなみにチラムネは、2020年3月に発表された「ラノベ好き書店員大賞2020」でも、第2位となっています。2019年1月から12月までに刊行された新作ライトノベルを対象にしているので、チラムネ1巻2巻が対象。私は知らない賞で、このラノに比べると影響力は小さいと思いますが、このラノ2021で協力者ポイントがあがったのは、これをきっかけに注目した人もいるのかも。

アニメ「千歳くんはラムネ瓶のなか」

さて、ここからアニメの感想です。現在、第4話を見終わった時点でこれを書いています。第1巻は既読で内容を把握しているため、作品(物語)の評価としてではなくて、どうアニメ化されたのか、「アニメ作品」としてどうか、という点に着目して見ることにしました。

まず、放映開始前の話、原作第1巻を読んで、この内容なら深夜アニメを見るオタク層を敵に回してもおかしくない内容だなと。また千歳と健太の物語で、ビジュアルで宣伝されるヒロインたちは添え物的です。

原作2巻からがホントのチラムネとか、このラノで評価されたのは2巻以降、第3・4巻が評価が高いとか知っていたので、それなら原作2巻からアニメをスタートさせるのも手だと思っていました。もしくは、原作1巻部分を端折る形で内容を簡略化するなどすればいいのかもとか。

そんなとき第1話が拡大放送と聞き、原作1巻部分を早く処理するのかもとかも考えました。ただ、第1話が何分なのか書いていなくて、2時間くらいするのか?と思っていたら、1時間の放送枠で。

第1話 春、見上げるおぼろ月

拡大放送と聞き、はてさてどうなるのかと楽しみにしてみたのですが、途中で唖然としました。40分あたりでしょうか、エンディングが流れたのです。まだ時間が残っているので、ここでいったん切って、また話が始まる2話を1回で放送するパターンか?と思ったのです。ところが、始まったのが、声優が福井を旅して食事する実写パートです。ようは聖地巡礼紹介動画です。

もともとチラムネは福井県とコラボして、聖地巡礼に力を入れているのは知っていたのですが、アニメ第1話と一緒にこんなのを流すんだと。「負けヒロインが多すぎる!」のアニメが盛り上がったとき、youtubeでこういったのを作っていたので、それを踏襲したのでしょうか。でもアニメ始まったばかり、アニメ視聴者には「まだ」「それほど」興味がない状態で、これを見たところで、行ってみたいと思うでしょうか。原作勢にはおなじみのグルメなどが紹介されていたのですが、誰に向けて作っているんだと思いました。

もうひとつは、モノローグが多いなと。冒頭はポエムみたいなのが流れるし、どこか気取った感じがしました。それ以外では第1回目なので、特別感想はなく、今後どうなるのかなと。

ネットでの評判に関しては、「チラムネ キツイ」がよく聞こえてきた感じです。主人公の鼻持ちならなさが不評のように感じられました。特にガラスを割って部屋にはいるのが、奇行に捉えられて、千歳がやや「おかしなやつ」と感じられてしまっているのかなと。

第2話 相互理解をはじめよう

第1話の拡大放送でここまでやっておけばいいのに、というのが第2話を見たあとの素直な感想。窓ガラスを割って健太の部屋に入ってからの説得、学校への登校、第1話を拡大したのなら、ここまで見せておけば千歳という人間をしっかり見せられたのにと。

今回から正式なOPとEDが流れました。どちらも力が入っていて、評判も良いようです。OPでヒロインたちの絵と名前が紹介される部分があるのですが、これがわかりやすくていいなと。

第1話で主人公のモノローグで紹介されたヒロインたちですが、個性が見えにくくて顔と名前がいまいち覚えられませんでした。本来なら物語中でわかりやすくしてくれたら良いのですが、原作1巻部分では彼女たちを中心に見せるわけではないので、こうやってOPで見せるのがいいなと。

ただ、あいかわらずモノローグが多いなと。アニメなんだからもうちょっと絵で見せればいいのにと思うように。風景画を映してポエムを語らせるシーンがあって、これはちょっとアニメとしては、ちょっと…… と思うようになってきました。

第3話 ひとりぼっちのヒーロー

ここまでツイッターで見る感想は賛否両論の否が多い感じでした。アニメでは3話切りというのが有名です。3話まで見て面白くなければ、その後はもう見ないというやつです。そういう意味で制作陣はどう考えていたのでしょうか。

第3話は起承転結の転の部分で、見どころの多い回だったと思います。オタクの健太の見た目を変える買い物デート部分、原作では結構オモシロイと思っていたのですが、ばっさりカットされてしまいました。見た目の変化を映像で見せるっていうのは、重要かなと思っていただけに残念です。

バスケ女子に励まされるシーン、深夜の電話での会話など、女子との1対1のシーンがあって、制作陣としてはこういうのを大事にしているのだなと感じました。

健太が千歳たちと別の陽キャグループに絡まれるシーン、原作では陽キャグループにも種類があって、マウントを取りに来るグループがあると語られる部分です。そういったマウンティングうんぬんを省いてしまって、陽キャ/陰キャに対する理解を見せる部分が薄かったかなと。

最後に健太が、千歳と女子の陰口を聞いてしまってケンカ別れのようになるのですが、ここで千歳が謝っていて、「謝れる千歳」がいい人間のように描かれている部分に、やや疑問でした。

第4話 ラムネの瓶に沈んだビー玉の月

第4話見終わったあとの素直な感想は、あ~、こんな感じかと。原作の魅力のひとつは文章表現なのだけど、それをそのままセリフやモノローグで語ってしまった感じました。第1話から感じていたけど、特に今回、モノローグが後半多くて、アニメとしてはどうなの?という疑問です。

どうアニメ化するのか、期待していた終盤の印象的なフレーズがあったのですが、モノローグの一行として、さらっと語られて終わりでした。そのフレーズが、原作1巻337ページの「──からん、と。心の奥のほうで、懐かしい音がする。」です。このフレーズが誕生したエピソードが担当編集から語られています。

『ガガガ文庫』気鋭の編集者が語るヒットラノベの舞台裏──岩浅健太郎 第1回作家と“バディ”になる──伴走型エディターの仕事哲学 | 小学館AD POCKET

どうしても納得できない部分が一カ所だけ残っていて。朔くんの感情の動きに、何かしらもうひと押しが必要だと感じた。裕夢さんに「ここ、何か良いフレーズがほしいですね」と相談したんです。

彼は「ちょっと考えてきます」と、ブース横の喫煙室に。数分で戻ってきて差し出してきたフレーズが──

おそらく千歳の心境として、重要な比喩表現だったはずだけど、アニメではダラダラとしたモノローグの中でのひとフレーズとして語られただけで、ホント印象に残りませんでした。この部分をクローズアップしたアニメ表現とか、せめてもう少し間を開けるとか、なんとかならなかったのかなと。

原作1巻部分が終わったあと、原作2巻部分のプロローグがモノローグでダラダラと語られ、2巻部分の導入が流れました。また長いモノローグかよ。長すぎて頭に入ってこないなと。最初見たときは、こんなのを流すなら、カフェでの健太元友達をもっとしっかりと描けと思いました。アニメだとホント千歳を怒らせるためだけに作れれたキャラに見えて、もう少し健太に対する嫉妬心とか、オタサーの人たちの卑屈さとかを描いてほしかったなと。

ただ時間が立つと、理解が変わりました。原作1巻部分で終わってしまうと、健太の物語で終わってしまうわけで、視聴者の期待としては「健太の次」になってしまうかもしれません(私はそうでした)。ここで次回への引きを入れることで、健太の物語はここで終わり、次回からは千歳とヒロインの物語ですよとなっているのだなと。

原作1巻とアニメ1~4話、あわせての感想

まず賛否両論の第1巻を、4話もかけてよく放送したな、との驚きがありました。原作をほぼトレースしつつ、陰キャやオタクへのあたりをややソフトにした感じです。ただツイッターのタイムラインに、たくさん現れた酷評もわからないではありません。どうしても主人公が鼻につく、共感が持てない、私もそう思いました。

内容的にはオタクや陰キャを馬鹿にしたいわけではなく、変わろうとすることの大切さを描きたかったのだと思います。ただ最終的に勧善懲悪的な物語に落とし込んだために、人によってはオタクたたき、陰キャたたきに見えてしまうのもかもしれません。アニメ4話部分の健太元友達への行為を「スカッとした」として楽しめる人と、そうでない人がいると思います。

作者は「1巻ではライトノベル的な文脈に乗せて主人公を説明するために、あえてクラス内のカーストやリア充と非リアといった対比を入れています。まずは千歳朔を読者に受け入れてもらう必要があると思った(このライトノベルがすごい!2021 P48より)」ということなので、ライトノベル読者層≒深夜アニメ視聴者層≒オタク層≒陰キャにわかりやすくするために、ヒロインたちとの物語の前に、オタク≒陰キャに歩み寄ってくれる主人公の物語を置いたのではないかと思います。

この歩み寄りを最終的に勧善懲悪的にするために、健太元友達の描き方が「定型的嫌な奴」になってしまい、そこでも「オタクへのヘイト」的に思えてしまう部分があったかと思います。相互理解といいつつ、この健太元友達への対応が私にはやや疑問で、たとえ悪意あるイジメであったとしても、威圧的な行動ではなく、もう少し穏やかな?方法であってほしかったなと思うのでした。

アニメの感想で「陰キャの考えた陽キャ」的な感想も目にしました。主人公千歳が理由もなくモテている、寒いギャグ、ポエミーなモノローグ、こんなところから導き出される感想なのかもしれませんが、ここは小説なので私としては気になりません。描きたい陽キャの形がそういうものであったわけで、それをして陰キャが考えたなんて思えません。

むしろ作者は陰キャ、とくにオタクがわかっていないのではという受け止め方をしました。原作1巻のキモは、陰キャな健太が変わることで、途中、うまくいかなかったところもありましたが、変わろうと努力したこと、実際に変わったことに主人公たちは「友達」として迎え入れて、めでたしめでたしな物語です。

ただ健太はオタクなのか?という疑問です。オタサーに入っていた、ラノベをたくさん読んでいる、アニメではフィギュアを飾っているとオタクっぽさを出していますが、私にはオタクには見えません。百歩譲って、ファッションオタク。なぜならばオタクとしての矜持が見えないからなんです。何にこだわっているのか。

作者はラノベを読んでるやつはオタク、と思っていたのかもしれません。物語の序盤で引きこもっていた健太が、ラノベのタイトルを挙げて、これらを知っているのか?と、アニメやラノベに興味があるという千歳に問う流れがあります。こういうの全然オタクに見えません。

ガガガ文庫に同じようにオタクが変わっていく姿を描いた人気作「弱キャラ友崎くん」というのがあるのですが、こちらの主人公は凄腕ゲーマーなんだけど、陰キャなオタク的キャラ。ただゲームに関しては矜持を持っていて、譲れない部分が描かれていたと思います(原作1巻読んだだけです。)

チラムネ1巻及びアニメ1~4話において、もう少し健太のこだわりの部分が描けていて、それを尊重しつつ変えていく千歳なら、もう少し共感が持てたかもと思うわけです。そのあたりにオタクへの解像度が低いと。

また、健太元友達も悪役的存在に描かないとスカッとしないから、醜悪になってしまっていて、オタサーの良さがまったくなさそうに見えてしまいます。なぜ健太がオタサーにいたのか?が見えてこないのです。こういったところから、作者にとって「オタクとはオタクである」くらいの理解にしか見えませんでした。

陽キャ主人公を描きたいのだから、陰キャ側の描写が少なくなってしまうのは仕方がありません。でも、もう少しやりようがあったのではないか、そんなふうに思いました。

もうひとつ、こちらはアニメへの苦言です。やっぱりモノローグが多すぎだと思います。文章が美しい小説をアニメ化しようとして、その文章をそのまま使ってしまった感じです。アニメを見ながら朗読を聞かされているようです。

また抽象的なセリフもそうなのですが、アニメでは言葉は流れていってしまうので、反芻することができません。作者は「言葉の解釈を楽しんで欲しい」的なこともいっていたのですが、アニメの場合は自分の速度で読める小説とは違うのですから、アニメ化する時にもう少し工夫が欲しかったなと。

アニメ脚本には作者御本人も関わっているみたいなので、とくにアニメとして聞かせるセリフ、理解できるセリフであって欲しかったかなと。ただ、それをすると説明的になってしまう可能性もあるので、さじ加減は難しいですが。

アニメ5話以降への期待

というわけで、色々と書いてきましたが、いよいよ明日、5話が放送されます。新しい物語のスタートです。

このラノで評価が高まったのは、2巻発売以降のこと。チラムネ原作勢もほぼ口を揃えて、2巻以降を勧めてきます。ということで、アニメもここからが期待です。私は原作2巻以降を読んでいないので、アニメで物語を楽しみたいと思ってます。

ただ、モノローグと抽象的な会話、もう少し減らしてくれるといいんだけどな。

おまけ 「野ブタ。をプロデュース」との比較

最後にチラムネ原作1巻と白岩玄『野ブタ。をプロデュース』(以下、野ブタ)の比較です。

舞台は教室。プロデューサーは俺。イジメられっ子は、人気者になれるのか?! テレビドラマでも話題になった、あの学校青春小説が、ついに文庫化。大ベストセラーの第41回文藝賞受賞作。

2004年に出版され、2005年にドラマ化、その主題歌が大ヒットしたことで、タイトルを知っている人も多いと思われますが、原作とドラマ、かなり内容が違います。

クラスでうまく立ち回っている男子(現在で言うところの1軍男子)が、イジメが原因で転校してきた太った男子を変えていく物語です。いじめられっこを笑われ者にして、クラスになじませていくという、今となってはアクロバティックな方法です。イジメからイジりに変わったことによって、このいじめられっこが救われているというのが、今となってはなんとも言い難いですが、当時としてはイジメられるよりイジられる方が愛される存在という、受けとめだったと思います。後に『りはめより100倍恐ろしい』という小説が、出版されて認識も変わったかと。

チラムネとの比較でいうと、「リア充」側の一人称で、カースト上位者が下位者を引き上げる物語であるのが似ているところです。方法として、髪型を変えたり、登校した時に笑いもの的に紹介するところなども、似ているといえるでしょう。

ただ野ブタのリア充の主人公、ずっと冷めているところがあって、一緒に遊んだりするクラスメイトやお昼ご飯を一緒に食べる女子を、友達・彼女なんて思っていない。この冷めた態度が最終的に、主人公を追い詰めてしまうわけです。チラムネの主人公と全く違うタイプの人間なので、読後の感想も全く違います。

ただチラムネと比較して面白いと思ったのが、こちらはリア充主人公の物語として成り立っていることで、チラムネはそのあたりが甘かったんだなと思いました。

野ブタにおけるカースト下位者は、いじられキャラとしてクラスに馴染み、主人公とも距離が離れていくのです。最後にクラスのみんなから、やや距離を置かれ出した主人公に、手を差し伸べるも主人公はそれを拒否するわけです。チラムネの場合は、カースト下位者を友達として迎い入れて終了で、まだこのカースト下位者との物語が続くと感じさせるわけです。

野ブタは、このカースト下位者を引きあげる物語から、リア充主人公(実はどこか空虚さを感じている)の物語への切り替えが上手いんだと思います。

1巻で終わる物語と続刊前提の物語の違いというのもあるのでしょうけど、カースト下位者が中心になってしまわないようにするためのアプローチが違っているのかと。小説から感じ取れるものは人によって違いますので、どちらが上とか下とかありませんが、主人公の見せ方としては、野ブタのほうが上手いと思ったのでした。

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