さて、今回は1988年に出版された、「聖〈セント〉エルザ・クルセイダーズ(以下、聖エルザ)」シリーズを読んで、タイトルのようなことを考えたので、ここに書き記します。
聖エルザ・クルセイダーズ
元々はゲーム情報誌『コンプティーク』1987年4月号~1988年12月号に連載されていた作品で、毎回物語の中で読者に向かって推理クイズを出し、次の回にその解答を載せるという構成となっていました。角川文庫(青帯、のちの角川スニーカー文庫)より、1988年3月から1989年4月まで全4巻が刊行されました。
全4巻のうち、1~3巻は雑誌連載をまとめたもの。第4巻は描き下ろしで、本編の前日譚となっています。
現在、電子書籍化もされておらず、現在のラノベ好きの人でも読んだことがある人は少ないでしょう。その名前すら知らない人も多いかと思われます。90年代ラノベを調べるときの必須本である、『ライトノベル☆めった切り!』や『ライトノベル完全読本』に取り上げられていないのが、知名度が劣る理由かもしれません。
あらすじ
聖エルザクルセイダーズ 集結!
冬のパリ、ひとりセーヌ川を見おろして想いにふける少女織倉美保。そこに届いたのは両親の事故死を告げる悲報だった。美保は母の奇妙な遺言にみちびかれるまま、単身帰国し『聖エルザ学園』に入学する。だが、そこで彼女を待ちうけていたものは……
学園を狙う正体不明の『敵』の暗躍、謎の猫目少女の出現、美保と同じ五角形のペンダントを持つ仲間との出会い!
伝統と格式を誇る名門校を舞台に息つく間もなく展開するストーリーと、読者への挑戦——。新感覚学園ミステリー第1部、ついに登場!!
聖エルザクルセイダーズⅡ 激動!
ハーイ、あたしチクリン。『敵』がいよいよ学園全体にまで魔の手をのばしてきちゃったわヨっ! おかげで結成まもないクルセイダーズまで分裂の危機。だってミホちゃんったら…(ガツン!)痛ッ。わーん許してオトシマエ、もうチクらないからア!
とにかく波乱バンジョー、あたしたちがハチャメチャ大活躍する聖エルザ第2部、いよいよ登場でーす!フフフ、『恵利ちゃんの編み物日記』 も特別収録ヨ♡
聖エルザクルセイダーズⅢ 聖戦!
無期停学をくらったコックリです。『若』は着々と学園支配計画を進めている。ボクたちも、うかうかしてられない。姫とミホちゃんは、姫のお父上に会いにパリへ。残ったボクたちは、伊豆山中で合宿を始めた。男はもちろんボクひとり。ウヒョーッ。
だけど、鼻の下をのばしてるヒマもなく、次々に事件が起こり、ボクたちは東奔西走するハメに……。
聖エルザの運命はいかに!? シリーズ第3部、待望の完結編、ついに 登場!!
聖エルザクルセイダーズⅣ 乱入!
ハーイ、チクリンで〜す♡ おひさしぶり~~~~!
Ⅰ~Ⅲ巻で、聖エルザを襲った大陰謀とアタシたちのスーパー大活躍は、じ~っくり読んでもらえたわヨネっ。
でもってIV巻は、その前のお話。あたくし、チクリンこと小栗まなみが、長崎からたったひとり、聖エルザにやってきたときのことなのヨっ。
学園全体が恐怖に打ち震えた大事件、チクリンさまのお手並をしかと見とどけてネっ。
聖エルザ第4弾、シリーズ序章、ついに登場!!
読んだ感想
読む前はミステリー的な物語だと思っていたのですが、どちらかというとドタバタアクション要素の強い物語でした。学園が舞台でドタバタアクションということで、読んでいて80年代の漫画「コータローまかり通る!」を思い浮かべました。「コータロー」の細かい物語は忘れてしまいましたが、空手部とか生徒会とかが絡みつつ、ちょっとエッチなところなんかが、そう連想させたのでしょう。
今読んで面白いかと問われると、残念ながらそうとはいえません。物語自体がシンプルで、現在の複雑な要素が絡み合う物語と比べると物足りなく感じます。また昔の創作作品に現在のコンプライアンス意識を当てはめるのは意味がないと思いつつも、セクハラ的行為や女子更衣室に忍び込んで下着を漁るシーンなんかは、読んでいて良い気がしません。当時はこれが面白いと受けとめられていたのだろうとわかりつつも、やはり今の価値観では楽しめません。
ただ、読み終えて思うのは、こういう作品こそがライトノベルであり、物語の内容だけではなく表現方法や作品の在り方から、ラノベ史において重要で、その存在を忘れてしまうのはもったいないのではないかと思ったのでした。
「聖エルザ」の時代性と先進性
個人的に評価したいポイントとして、時代性と先進性を挙げたいと思います。
時代性~80年代の空気
少年向けライトノベルは、その時代の文系若者文化との関係が深いのは周知のとおりかと思います。文系若者文化とは具体的にいえば漫画・アニメ・ゲームで、これらを小説に取り込んで、物語に昇華させたのがライトノベルといえるでしょう。そういう視点で考えると、聖エルザは非常に時代の空気を取り入れている感じがします。以下、具体的に考えます。
まず、読んだ感想のところでも書いたのですが、「コータローまかり通る!」を連想させたように、80年代の学園ドタバタコメディ漫画を小説でやっているところ。
80年代の学園ドタバタコメディ漫画というのは、70年代の学園を舞台にした漫画と違い、非常に軽いのです。70年代だと「男一匹ガキ大将」や「男組」などのバンカラ系や「愛と誠」のような純愛系の学園モノが人気だったわけですが、80年代だと「コータロー」以外にも、「うる星やつら」、「ダッシュ勝平」や「さすがの猿飛」など、学園コメディかつちょっとエッチなもの(女子のパンツへのこだわり)が人気を博しています。エロ要素の少ないものとしてなら、「究極超人あ~る」など。
一方、まだライトノベルという言葉がなく、ジュブナイルと呼ばれていた頃の少年向けレーベルの代表、ソノラマ文庫などでは正統派ジュブナイルSFや菊地秀行や夢枕獏の作品に代表されるアダルトな要素(エロ)を持つものもありましたが、軽いノリの学園コメディは、あまりなかったと思います。そこに登場したのが聖エルザで、同時期だと笹本祐一「ARIEL」なんかが軽いノリを持ったジュブナイルといえるでしょうか。
また軽いノリの小説ということでいえば、学園モノではなくスペースオペラですが、集英社文庫コバルトシリーズから出版された、火浦功「スターライト」シリーズがあります。第1巻『スターライト☆だんでい 』が84年に出版で、この作品あたりがジュブナイルで軽いノリを持った作品ではないかと見ております。最近の私の考えは、90年代ライトノベルへの直接的な影響(軽いノリという面で)は、火浦功作品が大きいのではないかと思っております。
もうひとつ時代性を感じるところとして、少年向けなのに少女が主人公というところ。今となっては、そんなの普通だろ?と思われるかもしれませんが、80年代前半までは少年向けの小説の主人公は少年が普通でした。
名作「時をかける少女」は少女が主人公ですが、これは掲載が学年誌だったため、少女でもOKだったのかと思われます。大人向けと少年向けの微妙なラインの作品では、高千穂遙「ダーティペア」シリーズがあります。女性の一人称小説でもありますし、アニメ化もされ、こちらは少年向け小説への影響は大きいと思われます。
ただ、これらの小説よりも、もっと影響が大きいと思われるのが美少女アニメ。もともとロリコン漫画ブームあたりから、美少女アダルトアニメ「くりいむレモン」シリーズのヒットがあり、美少女が主人公のアニメが(特にOVAで)増えた事によると考えられます。ここで注目したいのが、エロ目的のロリコン漫画・アダルトアニメとは違い、美少女の活躍を楽しむというか、愛でるといった表現のほうが正しいのかもしれませんが、のちの「萌」につながるようなアニメの見方をするようになってきたことではないでしょうか。
いのまたむつみキャラクターデザインの「幻夢戦記レダ」のヒット、くりいむレモンシリーズの構想から一般向けになった「プロジェクトA子」等々のアニメから、美少女の活躍を楽しむ流れがきたのでしょう。レダもA子もノベライズされています。ノベライズ以外のでは、聖エルザ、ARIELなどが有名どころで、このあたりの作品が「少女が主人公の少年向け小説」の先駆けになったと思われます。
ということで、聖エルザは80年代的学園ドタバタコメディであり、80年代から発生した少女が主人公の少年向け小説という点で、非常に時代性を持った作品であると言えるでしょう。それゆえにラノベ史の中で、80年代後半の特色を持った作品として、歴史に名を残しておきたいと思うのです。
先進性
一応、先進性と書いたのですが、これはちょっと違うかなとも思いつつ、いい表現が浮かばなかったので先進性と書いています。少女が主人公というのも、時代性がありつつも先進的だと思う(時代の先頭をいっているといえばよいのか)のですが、それ以上に文章的になかなか斬新なことをやっています。
ライトノベルの文章の特徴として、昔から言われているのが一人称小説が多いこと。今はもうそれほどではないのかもしれませんが、ラノベの代表的なタイトル「スレイヤーズ!」もそうですね。
多分、一人称小説でライトノベルというか、少年少女小説に多大なるインパクトを与えたのが新井素子作品。コバルトシリーズに新井素子作品が登場以降、それに影響を受けたような作品が多数投稿されるようになったというのは有名です。ただ、これは少女小説においてで、80年代のソノラマ文庫などのジュブナイル小説では、まだそれほど一般的ではなかったと思います。
そんな中、聖エルザは一人称で群像劇を描いています。まだ一人称小説が少なかったときに、一人称でしかも群像劇です。これはなかなかすごいことだと思います。未読の方のために説明しますと、節ごとに一人称のキャラ名が書かれて、そのキャラの視点で物語は進みます。三人称的な表現が必要な場面では、キャラ名がカメラ・アイとなり、カメラで見られているテイで物語が進むわけです。
わりと頻繁に視点が変わり、頭の切り替えが必要になってくるので、50すぎの私には若干ついていけないところもありましたし、終盤の物語の盛り上がりがキャラの切り替えで、細切れになってしまっているのが残念とも思いますが。
80年代から90年代にかけてのラノベとその源流では、ヒロイックな物語が多く群像劇は珍しいと思います。98年に上遠野浩平『ブギーポップは笑わない』がヒットして、群像劇が増えたらしいのですが、それの先取りをしていると言えるかもしれません。ただし、時代的に受け入れられてはいないとも思います。
で、一人称小説の特徴としては、語りとなるキャラの心情が描けることに特徴があると思うのですが、それがキャラの理解に繋がり、物語中心ではなく、キャラクター中心の小説と印象付けます。物語の中でのキャラクターの活躍を楽しむという読み方から、キャラクターの言動など、個性を楽しむ読み方へ変わっていく先駆けとなったのではないでしょうか。
聖エルザのその後
第4巻発行から2年後の1991年、カドカワノベルズ『ファンタジー王国Ⅰ』に外伝「修羅の少女」が書き下ろしで掲載されています。
また、2019年小説投稿サイト「カクヨム」にて、本編から30年後を描く「聖エルザ Anniversary〈記念日〉― GradeUp Version ―」、2023年には「聖エルザ Daydream Believer〈夢追娘〉」が発表されています。
前後しますが2016年、twitterにて雑誌掲載時の「聖エルザ」を「聖エルザギャラリー」として公開し、それに作者が解説をいれるやり取りがされています。これはtogetterにまとめられていますので、文庫未収録の雑誌掲載時のイラストが見ることが出来ます。
聖エルザのラノベ史的評価
最初の方に書いたように、聖エルザは電子書籍化もされておらず、80~90年代ラノベを調べるときの必須本である、『ライトノベル☆めった切り!』や『ライトノベル完全読本』に取り上げられていないので、知名度は低いと思われます。
このことから読み終えた私は、この記事のタイトルのように、「聖エルザ・クルセイダーズ」の名をラノベ史に残したいと思ったわけですが、色々と調べるうちに、2013年に出版された『ライトノベル・スタディーズ』にて、現在、白百合女子大学人間総合学部児童文化学科准教授の山中智省氏が「ライトノベル史再考─『聖エルザクルセイダーズ』に見る黎明期の様相から─」で取り上げていることを見つけました。
本稿が扱った『聖エルザ』は、1980年代のOVAやノベライズの活況を背景に登場したキャラクター小説 として、『スレイヤーズ!』にも比肩する特徴的な作品であったことは前述したとおりである。同作は、ライトノベルの黎明期にスポットを当てるうえで、《ファンタジーの時代》という観点以外から再検討する必要性を示唆してくれる。
『ライトノベル・スタディーズ』p.65より引用
また、ライトノベル研究会のサイトでも、「「コンプティーク」創刊30周年に思う~『聖エルザクルセイダーズ』を忘れない~」という記事を執筆されています。
というわけで、ライトノベルに関する論文を多数発表されている山中先生は、やはりすごいですね。2013年の時点で聖エルザの再評価が必要であると言ってます。ただ残念なことに、未だ再評価はされていないと感じます。今、とある編集者がライトノベル史をまとめているようなので、ぜひそこでは再評価されることを願っています。