さて、今回の名作単巻ラノベを読むは、直木賞作家 桜庭一樹の「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」です。
2004年発表ながら、じわりじわりと評判を呼び、2006年度「このライトノベルがすごい!」で3位になった作品です。シリーズものが有利なランキングで、この1冊だけでのランクインは快挙といえるでしょう。
これをきっかけに翌年には「少女には向かない職業」を、一般向け作品として発表。2008年には、「私の男」で第138回直木賞を受賞しました。
桜庭一樹の飛躍のきっかけとなった作品で、現在も名作単巻ラノベとして、これを挙げる人も多いです。
ちょっとヘヴィーな内容と聞いていたので、避けていましたが、図書館にあったので、借りて読むことにしました。
砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない A Lollypop or A Bullet
著者:桜庭一樹
イラスト:むー
文庫:富士見ミステリー文庫
出版社:富士見書房
発売日:2004/11
大人になんてなりたくなかった。傲慢で、自分勝手な理屈を振りかざして、くだらない言い訳を繰り返す。そして、見え透いた安い論理で子供を丸め込もうとする。
でも、早く大人になりたかった。自分はあまりにも弱く、みじめで戦う手段を持たなかった。このままでは、この小さな町で息が詰まって死んでしまうと分かっていた。実弾が、欲しかった。どこにも、行く場所がなく、そしてどこかへ逃げたいと思っていた。
そんな13歳の二人の少女が出会った。山田なぎさ―片田舎に暮らし、早く卒業し、社会に出たいと思っているリアリスト。海野藻屑―自分のことを人魚だと言い張る少し不思議な転校生の女の子。
二人は言葉を交わして、ともに同じ空気を吸い、思いをはせる。全ては生きるために、生き残っていくために―。これは、そんな二人の小さな小さな物語。渾身の青春暗黒ミステリー。
富士見ミステリー文庫版は絶版。現在は、角川文庫から出版されています。
冒頭の写真に写っているのは、蔦屋書店の企画『TSUTAYA文庫』から出版されたもので、オリジナルのデカ帯が付いています。
読んだ感想
読む以前から、ヘヴィーな内容であることは聞いていました。読み終えて感じたのは、なんて切なくて悲しい話なんだろうと。ただ、けっして読後感は悪くありません。
冒頭で主人公の一人である海野藻屑がバラバラ遺体となって見つかったという、新聞記事の抜粋が紹介されます。富士見ミステリー文庫であることや紹介文に青春暗黒ミステリーとあることから、一見この殺人の犯人捜し的ストーリーかと思わせます。
しかし、読み進めていくと、これは”誰が殺したのか”を探す話ではなく、”どうしてバラバラ遺体にならなければならなかったのか”を描く話であるとわかります。犯人捜しが目的ではないので、ミステリーというよりもサスペンスに近い、もう一人の主人公山田なぎさの一人称で語られる、少女の心の動きを中心とした物語であるのではないかと。
また、レビューなどを見ていると藻屑が殺されてしまうことから、バッドエンドと書かれていることが多いですが、冒頭で死ぬことがわかっているので、バッドエンドではありません。悲しい結末ではありますが、そういうストーリーです。読むと藻屑に共感してしまうために、これをバッドエンドと思うのでしょう。むしろ、少女の死をきっかけに、残された二人の人間が前向きに成長していくので、最後は希望の持てる結末です。
今回は感想を色々と書こうと考えたのですが、うまくまとめることができませんでした。心がぞわぞわさせられ、読み終わった後もずっとモヤモヤしています。色々な人のレビューや感想を読んだのですが、自分の心の中をまとめることはできず。これは作品を理解できなかったからなのか。それとも50歳過ぎた親父には13歳の少女の心に共感できなかったからなのか。
ただ、そういう理解できなかったことを含めて、この作品は面白いと思いました。レビューなどを読んでいるとみんな”砂糖菓子の弾丸”とか”実弾”という、作中に出てくる言葉を乱用しているのが面白く感じられます。作中では、一応の定義はありますが、割とぼやっとした言葉で、レビューを読んでいても理解できないこともありました。ただ、その言葉を使いたくなるのは、よくわかります。そういった言葉やセリフなどが、抜群にうまいです。「好きって絶望だよね」は、何かの機会があれば使ってみたい(多分、ない)、すばらしいセリフです。
2日間で2回読みました。文章も読みやすく、200ページほどの物語なので、苦になりません。むしろ、1度読み終えた後、心のモヤモヤを晴らすために2度目を読んだのですが、さらに迷宮に入っていってしまったような気がします。読めば読むほどわかるようでわからない、そんな不思議な作品でした。
今回は感想ではなく、色々と考察してみたいと思いました。もちろんネタバレなので、読み終えて色々と気になった方は、以下も読んでみてください。
考察
藻屑は生き抜く気があったのか
物語の終盤で、担任教師のセリフ。
「あぁ、海野。生き抜けば大人になれたのに……」
絞り出すような声。
「だけどなぁ、海野。おまえには生き抜く気、あったのか……?」
これの答えは第1章が始まってすぐに、暗示されていると考えます。
藻屑の父である雅愛(まさちか)のバンド時代のデビュー曲は、自身が作詞作曲した「人魚の骨」。1・2番の歌詞はロマンチックな人魚との出会いを描きますが、3番目の歌詞では捕まえた人魚をお刺身にして食べるという内容。主人公のなぎさは、まるで快楽バラバラ殺人だといっています。
そして、雅愛の娘である藻屑は転校初日の自己紹介で、「ぼくはですね、人魚なんです」といっています。エキセントリックな発言で興味を引こうという単純なことではなく、最後まで人魚にこだわっています。父の作詞した曲はもちろん知っているでしょうから、父に捕らえられた人魚が最後にはどうなるかは理解しているはずです。
雅愛にとっての愛の最終形が”死”であるとすれば、虐待の行き着く先に”死”があることは理解していたのではないかと。
なぜ殺したのか?
この小説では3つの殺しがおこなわれます。1つ目は海野家の飼い犬ポチ。2つ目は学校で飼育されているウサギ。3つ目はバラバラ死体となって発見される海野藻屑。2つ目に関しては誰が殺したのかという問題もあるので、ここでは1つ目と3つ目。
これらの殺害は雅愛によるものですが、なぜそうなったのかは描かれず。愛情表現としての暴力が行き過ぎたのか、ただのサイコパスだったのか。終盤、なぎさが問うサイコパスかどうかを判断するテストで、雅愛がサイコパスであることがわかります。ただ、サイコパスだからで済ませてよいものか。
藻屑は最後になぎさと逃亡しようとします。荷物を取りに戻ったときに殺されるわけですが、雅愛のいつもの愛情が死を呼んだのか。それともなぎさと逃亡しようとしたことを知った雅愛が、それを裏切りと感じ、殺すに至ったのか。
藻屑の愛が自身から離れたゆえに、殺してしまったのではないか、そんな風に考えます。
ウサギは誰が殺したのか?
2つ目の殺害である、学校で飼育されているウサギが殺された件。藻屑は花名島が殺したといい、花名島は藻屑が殺したという。ウサギの頭が藻屑のカバンの中にあったことから、藻屑の犯行だと受け取れます。ただ、藻屑が自分がやったと明らかにわかるようなことをするか、このあたりが疑問点となります。
ただ、このうさぎ事件前日の、なぎさと藻屑の会話から、なぎさが大切にするもの(ウサギ、兄・友彦)への嫉妬ともとれる感情をみせているので、ウサギ事件は藻屑の犯行と考えます。
ウサギの頭をカバンに入れていたのは、何も考えていなかったから。父が犬を殺した後も、埋めるなどの隠すことはせずにただ山中に放置したことを考えると、それを見ていたであろう藻屑も学校が終わった後にでも処分しようくらいの考えではなかったか。花名島とのやりとりがなければ、カバンの中のものが発覚することなかったでしょう。もうひとつウサギの頭を入れていたカバンからの生臭いにおい。なぎさは血のにおいともいっていますが、藻屑にとって血のにおいは日常的なもので、あまり気にならなかったのではと。
また、ここは物語のカギにもなるところ。なぎさが大切にするモノを奪おうと考えた犯人が、次に殺すのは誰か? もし藻屑がウサギを殺したのなら、次は兄であろうと。もし花名島ならが殺したなら、次は藻屑だろうと。ここで冒頭の藻屑のバラバラ遺体にもどって、ひょっとしたら藻屑は花名島によって殺されたのではないか?と思わせる作りです。
暴力と愛情、憎しみの表現
藻屑にとって、暴力と愛情、憎しみの表現は、ごちゃ混ぜになっています。
ずっと父から虐待を受けてきた藻屑にとって、暴力こそ愛情が発露した形と考えていたのかもしれません。藻屑はウサギ殺しの件で花名島から受けた暴力を、ひょっとしたら愛の告白と受け取ったのではないか。もしくは、精神的な強姦。なんて考えてしまいました。そして後日、謝りに来た花名島に対する暴行をどう捉えるかです。
花名島が謝りに来るのは、藻屑が日頃から親からの虐待を受けていたという噂を聞いたからか。その花名島に対し、モップでたたきつける藻屑。「藻屑は愛情表現と憎しみの感情の区別がつかない子」となぎさがいっているように、この行為は愛情表現なのか憎しみの表現なのか、わかりにくいところです。
話はそれますが、この行為を受けた花名島は、なぜか恍惚とした表情を浮かべます。マゾヒストへの目覚めのような描かれ方をしていますが、ここがよくわかりません。あと、もうひとつ考えました。上の方で精神的な強姦とも書いたのですが、藻屑は父から性的暴力も受けていたのではないかと。花名島の「足、開けないって……」の問いに、「鍵がかかってるもん」との答え。これは深い意味にもとれます。また花名島を押し倒した後に、シャツを引きちぎり、裸にむき始めるという行為は、普段受けている行為とも想像できます。まぁ、あまり想像したくはないですね。
最終的に藻屑は花名島のことを好きでなかったため、殺すまでにはいたらなかったのか。それとも暴力と愛情が違うということを、この行為から理解したのか。普段自身が受けている暴力を自身初めてが行ったときに、暴力(憎しみの感情)と愛情が違うと理解できたと考えます。
なぎさがいうところの「初めて撃った実弾」が、藻屑の目覚めを呼んだのでしょう。この後なぎさと藻屑は逃亡することになります。
ちなみに藻屑が愛情と憎しみの表現が区別つかなかったシーンとしては、
「『死んじゃえ』とか言わなかった?」
「あれは愛情表現」
「ばかじゃないの……」
藻屑はにやにや笑っていた。
「ちがうでしょ。あれは、憎しみでしょ」
海野藻屑はびっくりしたように瞳を見開いた。それから、急に、とても傷ついたようにうつむいた。
「しんじゃえ」が愛情表現(=いつも父から言われている言葉)で、なぎさの「ばかじゃないの」に、にやにや笑っています。これも普段からバカと言われているので、愛情表現と受け取っているよう。「あれ(死んじゃえ)は憎しみでしょ」と言われた時点で、びっくりして、傷ついています。これは普段言われている言葉が、愛情ではなく憎しみであると、気づかされるシーン。ただ、このあとも藻屑の行動に変化が見られないことから、それほど理解できなかったのかもしれません。何しろ毎日のように、愛する父親からあびている言葉だから。
しかし、この後10月3日に嵐が来るという話を始めます。この時点で藻屑はなぎさをほんとの友達になって欲しいと確信したのかもしれません。
10月3日の謎
藻屑は10月3日に10年に一度の嵐が来るといいます。実際に10月3日の夕方から夜にかけて嵐のような状態になりますが、これは物語的な盛り上げでしょう。それほど意味はないと。それよりも10月3日にどういう意味があったのか。作品を考察しているブログを見ても、この日付について取り上げているものを、見つけることができませんでした。何しろレビューや個人サイトがたくさんあるので。
なぜ10月3日なのか?
藻屑は「そのとき(10月3日)までに捜し物(=ほんとの友達)を見つけないと、海に帰ることになる」「世界中の海からぼくの仲間たちが帰ってくる」といっているので、重要な日であるのは間違いないようです。ただ10年に1度というのは、10年前に大嵐があったことを知った上での追加設定のようで、それほど重要ではないかもしれません。
花名島から暴行を受けて休んだ後、10月3日にわざわざ学校にきています。これは周囲からも言われているように、なぎさに会いに来たので間違いないでしょう。
子供だけでなくても1年に1度の重要な日と言えば、やはり誕生日ではないかと。10月3日こそが藻屑の誕生日ではないでしょうか。世界中の海から仲間が来るというのは、祝福に集まるイメージ。自身が姫だといっているので、なおさらです。愛する父親から暴力しか与えられなかった藻屑にとって、記念すべき日は祝福を受けたかった、またほんとの友達が横にいて欲しかったのではないでしょうか。
変則的な考え方として、父の誕生日とか、両親の結婚記念日なんて考えもしたのですが、これはちょっと無理があるかなと。
“実弾”と”砂糖菓子の弾丸”
レビューなどでみんなが使いたくなる言葉、”砂糖菓子の弾丸”。タイトルだけを見たら、なんだろうと思いますね。
なぎさは生活に打ち込む、本物の力を”実弾”と言います。そして、なぎさの兄が言うのはこう。
「彼女はさしずめ、あれだね。”砂糖菓子の弾丸”だね」
「なぎさが撃ちたいのは実弾だろう? 世の中にコミットする、直接的な力、実体のある力だ。だけどその子がのべつまくなし撃っているのは、空想的弾丸だ」
「その子は砂糖菓子を撃ちまくってるね。体内で溶けて消えてしまう、なぎさから見たらじつにつまらない弾丸だ」
“実弾”=現実的なもの、”砂糖菓子の弾丸”=非現実的なもの。タイトルの「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」は、非現実的では生きていけないということでしょうか。「夢見る少女じゃいられない」ですね。
ちょっと考えてみたのが、副題に英語で、「A Lollypop or A Bullet」とあること。砂糖菓子か、弾丸か。こちらでは並列ですね。この対比は色々と含んでいるのではないかと。この本は現在は角川文庫から出ていますが、初出はライトノベル。問いかけるのは、この内容は「ライトノベル」か「一般小説」か。そして、ライトノベル版では、かわいらしい女の子の表紙です。このイラストゆえに手に取りにくいというレビューなんかも見受けられます。「かわいらしい絵(見た目)」と「ライトノベルらしからぬ内容」なんて対比もできます。
読み終えた皆様はどう思ったでしょうか?
海野藻屑という名前
先日、1980年出版の新井素子「いつか猫になる日まで」を読みました。そこで、新しい発見があったので、追記しておきます。
「いつか猫になる日まで」の主人公 海野桃子のあだ名が、”もくず”です。姓である”海野”からの連想ということでつけられたと最初は語られるのですが、物語の終盤で、このあだ名をつけた親友が真意を告白しています。
いつか、あたくしの腕の中から飛び出してもっと遠い所へ行ってしまうってことが判ったから。その日が来て欲しくないって思って……。いつまでもあたくしのこと頼っていてくれるあなたでいて欲しいって――本当は、あたくしがあなたに頼ってたんだけど。だから、あなたに、自分は一人じゃ何もできない、あさみがいてくれないと駄目なんだって思いこませようとして
新井素子?「いつか猫になる日まで」 愛蔵版 247-248pより
自分から離れていくのを恐れて、わざと貶めるようなあだ名をつけたということです。雅愛は「いつか猫になる日まで」を読んだことがあって、自分の娘にこの名前をつけたと妄想。
桜庭一樹が「いつか猫になる日まで」を知っていたかどうかはわかりませんが、こんな妄想もまた楽しいですね。
まとめ
以上、つたない考察でした。
もうひとつミネラルウォーターのペットボトルについて、考えなければならないのですが、頭がパンクしそうなので、いずれまた追加したいと思っています。なぎさが最後にペットボトルのミネラルウォーターを飲んだ後で、これが海野藻屑の正体だと言っているので、これも重要なポイントです。”これ”が何をさすのか、色々と考察できそうです。
最後にこの本は、中学生くらいの女子に読んでもらいたい本だなと、本当に思います。たぶん同じくらいの男子は、みんなバカなので、読んでもよく理解できないでしょう、多分。男子が読むなら高校生くらいになってからがオススメです。