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【ライトノベルを読む】上遠野浩平『ブギーポップは笑わない』を読んで。

ついに上遠野浩平『ブギーポップは笑わない』を読みました!

読まずに色々書いてプチ炎上しちゃいましたが、今回きちんと読みました。その感想です。なお、ネタバレ含みます。

【妄想ラノベ史】番外編 『ブギーポップ』の影響は? への反響について
虎の尾を踏んでしまったのか、それともパンドラの箱を開けてしまったのか。そもそもライトノベルにおける学...

あわせて↑もお読みいただければと思います。

ブギーポップは笑わない

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著者:上遠野 浩平
イラスト:緒方 剛志
文庫:電撃文庫
出版社:アスキー・メディアワークス
発売日:1998/2

 君には夢があるかい? 残念ながら、ぼくにはそんなものはない。でもこの物語に出てくる少年少女達は、みんなそれなりに願いを持って、それが叶えられずウジウジしたり、あるいは完全に開き直って目標に突き進んだり、まだ自分の望みというのがなんなのかわからなかったり、叶うはずのない願いと知っていたり、その姿勢の無意識の前向きさで知らずに他人に勇気を与えたりしている。
これはバラバラな話だ。かなり不気味で、少し悲しい話だ。―え? ぼくかい? ぼくの名は“ブギーポップ”―。
第4回ゲーム小説大賞「大賞」受賞。上遠野浩平が書き下ろす、一つの奇径な事件と、五つの奇妙な物語。

読んだ感想

まずは素直に面白かったです。特に第1話で主人公かと思っていた竹田くんが、まさか何もわからないうちに事件が終わっていたというのがよいですね。こんな無茶な展開にするんだと。

で、一応読み終えて思ったことは3つ。学園ジュブナイルSFへの回帰、ミステリ的な読ませ方、エヴァンゲリオンの影響といったところです。

ブギーポップの後続への影響で言われていたのが、学園異能バトルや学園伝奇といったところでしたが、読んだ感想としては学園SFだなと(ただこれは『ブギーポップは笑わない』単独での感想ですので、次巻以降の展開がそういう方向だったのでしょう)

物語は思っていたよりも凄くシンプル。とある学園では少女の失踪が続いていた。その原因がマンティコアと呼ばれる化け物の仕業で、そのマンティコアはエコーズと呼ばれる宇宙生命体の劣化コピーだったと。マンティコアを追うエコーズ、失踪事件に関わる学生、そしてブギーポップ。彼/彼女らは学園に潜むマンティコアを止めることができるのか? 要約するとこんな話で、学園を舞台にしたジュブナイルSFっぽい話です。

著者の上遠野浩平は1968年生まれということで、小中学生の頃に「時をかける少女」や「ねらわれた学園」を通ってるはずの世代なので、そのあたりがベースにあるのかもしれないと思ったりもしました。どちらかというと筒井康隆「緑魔の町」や眉村卓「閉ざされた時間割」あたりの侵略モノでしょうかね。このあたり電撃文庫的には、95年の高畑京一郎『タイム・リープ あしたはきのう』(97年に文庫化)があって、その流れとも受けとれます。

ちなみに97年に「ねらわれた学園」が再び映画・テレビドラマ化されていたり、98年に「なぞの転校生」が映画化されていたりするのは、時代的になにか関係があるのかな。なお、98年7月にスニーカー文庫から『なぞの転校生』と『ねらわれた学園』が出版されていたりもします。

69年生まれの私には懐かしさも見られたのですが、90年あたりから始まった異世界ファンタジー(ライトファンタジー)ばかりを読んでいた人にとっては、かなり新鮮に感じたのかもしれません。

物語自体はシンプルなのに、あっさりとした物語と感じずに読み終えることができるのは、やはり構成の巧みさなのでしょう。第1話で事件は実質終わってしまっていて、読者は結局、何だったの? と思うわけです。そこからが物語の本当のスタートとなるわけですが、語り手を変えて事件にだんだん迫っていくのが面白い。このあたりはミステリー的といってよいのでしょう。段々と謎が解けるというか、物語が見えてくるというか。

しかも、語り手のチョイスが外していて、第1話竹田敬司、第2話末真和子、第4話木村明雄と事件に深く関わっていないメンツというのがいいです。もっと事件に深く関わるブギーポップや霧間凪、紙木城直子の内面はその行動と語られる言葉からしかわからないという。

その点第3話の早乙女正美の話は、第1・2話で肩透かしを食らった読者を満足させる内容。やはり事件の中心にいる人物の話がないとね。この早乙女くんの存在が面白くって、物語の真の主人公は彼でしょう。彼は霧間凪に告白し、”フツーのヤツだろ”と言われふられています。実はこれがフツーのヤツじゃなかったという。狂気を一番持っているのは彼で、サイコパスとかシリアルキラーとかそんな言葉が思い浮かびます。彼をふった霧間凪こそがフツーのヤツで、結局何もできていないという構図が面白いです。

それでもって、次の第4話で話は数年後に行って、また肩透かしを食らわせてくれます。そこから第5話で物語のラスト。ブギーポップが活躍する物語と思ったら、ブギーポップはそれほど活躍しないというのも面白い。全体を通して、歪な物語構造というか、ずっとはぐらかされ続けているというか。これらはすべて作者が意図したものだろうから、すげぇなぁと。

で、色々と謎が残るまま終わってしまうのですが、そこに感じたのがエヴァンゲリオンの影響です。後にセカイ系という言葉が作られて、ブギーポップもその流れで語られるわけですが、感じたのはもっとシンプル。謎を謎のまま残して物語を終わらせているところです。ブギーポップのこと、ブギーポップと霧間凪の関係(5年前の事件は?)、エコーズの正体、マンティコアを作り出した組織などなどわからないことだらけで終わるわけです。ラノベはシリーズが続くことが多いので、これらは次巻以降で解明されるかもしれませんが、それにしても不親切です。大きな謎は残っても、身の回りの事件が解決すればOK的な。

エヴァンゲリオンは謎を残したままTV版は終わり、劇場版でさらに輪をかけるということをしたので、ブギーポップも同じように許容されたのでしょうか。もしくは登場人物たちも自分たちの身の回りで起こっていること以外はわかっていないことを考えると、読者もまた同じように全てがわかるわけではないというメッセージなのでしょうか。

個人的にはスカした面白さを感じたのですが、これを読んだ当時の10代の子たちはどのように感じたのかが気になります。キャラクター的には霧間凪が一番魅力的に思えるのですが、どのキャラクターに共感を覚えたのかとかも。

なお、続きが読みたいですね。

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