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【単巻ラノベを読む5】あかつき ゆきや『クリスタル・コミュニケーション―あなたの神様はいますか』を読んで

さて、久しぶりの単巻ラノベを読むです。「みんなのオススメ単巻ライトノベル 年代順87選」で名前が挙がっていた作品「クリスタル・コミュニケーション」を読むことにしました。

クリスタル・コミュニケーション―あなたの神様はいますか

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著者:あかつきゆきや
イラスト:ぽぽるちゃ
文庫:電撃文庫
出版社:メディアワークス
発売日:2003/6

「お昼をご一緒しませんか?」「かまわないけど、でもどうして僕と?」「水晶色だからです」「すい…?」「あなたが水晶色だから、私はあなたと時間を共有したいのです」不思議な女の子と大学受験会場で出会った僕は、その瞬間から、“なにか”が始まったことに気づいていなかった。女の子は、ケイと名乗り、そして驚いたことに、不思議な力を持っていて…!不思議色恋愛ストーリー、登場。

読んだ感想

ヒロインは人の心を知ることが出来るテレパス(テレパシー能力を持った人のこと)。人の心がわかるとそれを利用すれば、人を助けたり、色々と良いのでは? なんて簡単に考えてしまいますが、彼女はそうではありません。その能力を隠し、生きているのです。

特定の人の心が読めるのであれば、使い方次第で役に立つかもしれません。しかし、まわりの人の心がとめどなく聞こえてくるというのはどういうことなのか。彼女はそれをこう表します。

「私に言わせると、人々は皆、胸にラジカセを埋めこんでいるようなものなのです」

「ラジカセぇ?」

「はい、心のラジカセです。それらは常に本音を流しています。ラジカセの音量には個人差がありますが、基本的に感情が高ぶった状態の人だとボリュームが大きいですね。私には、その特別なラジカセの音声をキャッチする受信機があるのです」

ークリスタル・コミュニケーション 51Pより

人は人間関係をスムーズに行うために、本音を隠して建前を使い生きています。彼女にはその隠された本音が聞こえてしまうと言うことです。彼女はこの能力を持っていたゆえに、幼い頃に友達を失い、精神病院にも入っていたと言います。いわゆるテレパスの悲哀というものです。

私の大好きな筒井康隆の七瀬三部作の1作目「家族八景」では、人の醜い部分がわかってしまうテレパスの悲哀を描いていました。大人向けなので、それはそれは心の闇をえぐり取るような内容です。それに比べるとこの作品はジュブナイルらしく、恋愛に絡めてある種美しく描いています。それゆえに泣ける作品とか切ない作品とレビューに書かれています。

私は「雨の日のアイリス」のレビューでも書いたように、泣かせにくるような作品が嫌いです。しかし、この作品は泣かせにくる物語ではありません。そういう風に受け取る人も多いかもしれませんが、もう少し深い内容を持っているのではないかと。

副タイトルに「あなたの神様はいますか」とありますが、作中で語られる「神様にはなれない」という言葉が印象的です。たとえ、自殺願望を持っている人がいても、その人をとめることは出来ない。ましてや世の中に溢れるたくさんの人たちの声を聞き、それぞれに対応なんてしていられないわけで。たとえ人の心がわかったとしても、自身は何もできないという無力感。

そもそも能力を隠していたのに、なぜ”水晶色だから”と声をかけたのでしょうか?

水晶は無色透明な物体、声をかけられた主人公は表裏の少ない人間だったからなのか?

物語は悲しい結末を迎えます。それは美しいことのようにも描かれていますが、人の心が聞こえることに耐えきれなかった故の逃避行動にも見えます。そして主人公にあえて声をかけたのは、無意識のSOSだったのではないか、とも思えます。

主人公との恋愛どうこうよりも、そうせざるをえなかったヒロインの苦しみをそこに見ました。

70~80年代のジュブナイルSFにおいて、超能力者はスーパーヒーローのように描かれていました。また、機動戦士ガンダムでは、言葉がなくてもわかり合えるというニュータイプを、人類の革新として描いていました。

はたして人の心がわかることが、良いことなのか?

この作品はそういうことを問いかけてくる、ジュブナイルの良作です。2003年の作品で、私の中ではそれほど古い作品ではないのですが、この作品が書かれた頃に生まれた子はいまや高校生。今の若い子達には、どのように読まれるのでしょう。

最近の長いタイトルに訳のわからない作者名、異世界転生や萌えばかり溢れる、ある意味歪んだラノベ界にはこういう良質のジュブナイルはあるのでしょうか? そんなことを思いました。

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