さて、今回の【90年代単巻ラノベを読む】は、今なお現役バリバリのラノベ作家 榊一郎のデビュー作「ドラゴンズ・ウィル」です。
榊一郎
1998年に「ドラゴンズ・ウィル」が第9回ファンタジア長編小説大賞に準入選しデビュー。その後は「スクラップド・プリンセス」「神曲奏界ポリフォニカ」などヒット作を多数産みだしています。
前回の吉岡平さんもですが、榊さんもラノベレーベルの垣根を越えて、色々なレーベルから作品を発表しております。8月にも2作品出版されるようで、ラノベ界の大ベテラン作家ですね。
ドラゴンズ・ウィル
著者:榊一郎
イラスト:田沼雄一郎
文庫:富士見ファンタジア文庫
出版社:富士見書房
発売日:1998/01
「魔竜スピノザ!お前を、倒すっ!」…べしゃ。次の瞬間、自称『勇者の代理人』の少女は、見事にすっ転んでいた―。エチカ・ライプニッツは明るく元気な少女。聖「デルフォイ」の森に、スピノザという魔竜が棲むという噂を信じ、退治しにやって来た。街の人々は、誰もそんな噂を信じていない。馬鹿にされながらも、エチカは森の奥にある洞窟で、人類の天敵、魔竜スピノザを発見した!ところが邪悪な敵であるはずのスピノザは、香茶を愛す菜食主義の竜だった!?第九回ファンタジア長編小説大賞準入選受賞作!元気な少女と風変わりな竜とのふれあいを描いた、心温まるロマンティック・ファンタジー。
初出は1998年1月の富士見ファンタジア文庫版ですが、2013年に完全版として、月間ドラゴンマガジン2000年3月号増刊に掲載された「ドラゴンズ・ウィルNEXT SOULS IN THE MIRROR 魂の双生児」を収録した単行本が発売されています。ただし、こちらはイラストなしです。
kindle版は文庫版の電子化のようで、NEXTは収録されていないようです。
読んだ感想
ファンタジア文庫だし、ドラゴンの出てくる剣と魔法ファンタジーもの、「ドラゴンクエスト」のようなものかなと思って読み始めたのですが、予想を裏切る内容で大変楽しめました。主人公エチカと菜食主義で平和主義者のドラゴン スピノザの交流を描くハートフルな物語です。異種族間の交流というか、恋愛ものといって良いのかもしれません。
ファンタジー小説におけるドラゴンの存在は、人間の手に及ばない絶対的な力の象徴であることが多く、それが悪になると、ドラゴンクエストのように倒すべき存在となります。しかし、この物語で描かれるドラゴン スピノザは菜食主義の平和主義者で、自ら畑で食料用の野菜を育てています。このあたりはドラゴンの持つイメージを裏切り、意表を突いてきます。
また、そんなドラゴン退治に来たエチカも、選ばれし勇者では無く代理人。勇者になるべく、破竜剣を与えられた選ばれし者は兄のレヴィン。しかし、その兄はドラゴン退治には全く関心が無いよう。これも”選ばれし者”や”勇者”といったイメージを裏切ってくれています。
ドラゴンを倒しに来たはずのエチカは竜にお茶をふるまってもらう始末で、タイトルやカバーイラストから感じる”ドラゴン”や”剣と魔法”といったファンタジーのイメージを裏切るような形です。これは80年代終わりから始まった異世界ファンタジー小説のブーム終焉を感じさせます。
前半はエチカとスピノザの交流やエチカの日常を中心に、コメディタッチで描きます。所々で挟まれるのは、隣国の不穏な動き。エチカの生い立ちの悩み、レヴィンの謎の行動、影を持ったメイド ラウラ、スピノザの旧友のドラゴン アタラクシア等の話も絡めつつ、後半に向けて盛り上がっていきます。
エチカと兄レヴィン、エチカと級友ベアトリーテ、スピノザとアタラクシア、ラウラと隣国の軍人イドラ大佐、皇帝マキャベランと女官ステュアート。身近な関係で対比させるように、与えられた地位や役目を否定するもの/肯定するものを描いています。
英雄。魔竜。仕組まれた物語。押しつけられる価値観。
それを崩したかった。だれも自分の価値を認めてくれないのなら、価値観そのものを破壊してしまいたかった。世界をこの手につかんで運命という名の不平等をぶち壊してやりたかった。(後略)
(文庫版 261-262pより)
皇帝マキャベランの行動原理として、こんな風に書かれています。
エチカとスピノザの交流を描くハートフルな物語ではありますが、与えられた価値観をぶち壊すべくあがく人たちの物語でもあります。「ドラゴンの登場するファンタジー小説でしょ」なんて軽い気持ちで読むと、その内容の深さに良い意味で思いっきり裏切られます。若干詰め込みすぎな部分もありますが、ファンタジア長編小説大賞準入選は伊達ではありません。
あとがきにある、レヴィンとベアトリーテの息子スピノザが行方不明になった冒険家・叔母エチカを探す物語も読んでみたいと思いました。