さて、今回の【90年代単巻ラノベを読む】は、田中哲弥『やみなべの陰謀』を読んだ感想です。SF小説界隈で評価も高く、電撃文庫から出版された「大久保町3部作」も名作と評判の著者が書いた連作短編集です。
やみなべの陰謀
著者:田中 哲弥
イラスト:此路 あゆみ
文庫:電撃文庫
出版社:メディアワークス
発売日:1999/01
「独立した、ジャンルも違う5つの短編が実は巧妙に絡み合わされ、ひとつの長編を構成する」田中哲弥の壮大な構想に基づき始まった雑誌連載に大幅な加筆、修正を加えた(いや、そうしないと話のつじつまが合わなかったわけではない。決して)必見の最新作、ついに登場!ある日突然、普通の大学生栗原守のもとに届けられた千両箱。これは果たして何者が、何の目的で彼に届けたのか!?「千両箱とアロハシャツ」「ラプソディー・イン・ブルー」「秘剣神隠し」「マイ・ブルー・ヘヴン」「千両は続くよどこまでも」、計5編を収録。
データ・あらすじは電撃文庫版のもの。
もともとはゲーム雑誌『電撃アドベンチャーズ』vol.23~27に掲載されたもので、加筆修正し文庫化。電撃文庫版は絶版となりましたが、2006年にハヤカワ文庫から再刊、現在は電子書籍としても販売されています。
読んだ感想
ジャンルも世界観もそれぞれ違う内容の短編が最後につながっていく、5編の奇妙な連作短編集。ただし、最後はきれいに纏まってはいません(もちろんあえてでしょうが)。
amazonや読書メーターのレビューを見ると、この作品を面白いと書いている人が多いのですが、私にはさっぱり理解できませんでした。「秘剣神隠し」と「マイ・ブルー・ヘヴン」は単独作として、それなりに面白いと思えたのですが、「千両箱とアロハシャツ」「ラプソディー・イン・ブルー」「千両は続くよどこまでも」の3編は意味不明としか。
特に「ラプソディー・イン・ブルー」は男女の美醜をネタにしていて、先日の「オリンピック開会式で女性芸人に豚のコスプレをさせよう」という発想と根っこは同じような気がします。美しいものは無条件で受け入れ、醜いものを徹底的にこき下ろしネタにするような。
この作品が書かれたのが、20年前なのでまぁそんな感覚も当然といって良いのかもしれませんが、多分当時読んだとしてもこれを面白いとは思わなかっただろうなと思います。
著者プロフィールを見ると吉本興業で台本作家をしていたとあるので、吉本的な笑いがあるのかもしれません。なお、webマガジンAnima Solaris(アニマ・ソラリス)の著者へのインタビュー記事で、「なにを書いても「吉本的」だとか「吉本新喜劇的」と言われるのは非常に心外です。新喜劇の台本なんか書いたことありませんし」と述べておりますので、吉本的というのは間違いで、お笑いの根本的なものなのかもしれません。見た目をいじることで笑いにするというのは、本当に面白いことなのでしょうか。私にはわかりません。
また「千両は続くよどこまでも」も意味不明で、読んでいて何度か読むのをやめてしまいました。それまでの4編がつながる話なのですが、不条理と意味不明の引きで、読んでいて腹立たしかったなと。それでも最後まで読んだのは、最後まで読まずに面白くないと評価するのはやはりダメだと思うから。最後にどんでん返しがあるかもしれないですし。でも、最後まで読んでもよくわかりませんでした。ある程度、話は収束しているのですが、カタルシスがあるわけでもなく。
そんな中、近未来の大阪を舞台にした「マイ・ブルー・ヘヴン」がまだ面白く読めました。最後にズラネタを持ってくるところは共感できませんが、バカバカしくも最後は悲しい終わりで楽しめました。
ハヤカワ文庫から再刊されたときの紹介文には、「5つの物語が時空を超えて絡み合う時間SFの傑作」とあります。この作品は本当に「時間SFの傑作」なのでしょうか。それともamazonのレビューに書かれている人もいるように、これ自体がおちょくりネタなのでしょうか。私にはわかりません。
この作品を真剣に読まずに、適当に読み流せば面白いのでしょうか。それとも著者へのインタビュー記事にあるような『ああこれは苦手な人いるだろうなあと思って読みながら自分は笑ってしまっているというのはけっこう楽しいことなのではないでしょうか。「わかるのは自分だけ」みたいな感覚というか』といった風に読むべきなのでしょうか。
簡単に言ってしまえば、私の感覚に合わなかっただけなのかもしれません。ただ「時間SFの傑作」という文言は本当なのでしょうか。