さて、今回はパスティーシュの名手として知られる清水義範の初期作品、80年代後半に書かれたユーモアミステリー『躁鬱探偵コンビの事件簿』シリーズ全6作を読んだ感想です。
H殺人事件
発売日 : 1985年9月
躁病とも言えるほどに楽天家の不破太平(ふわたいへい)は、同じアパートに住む個室マッサージ嬢の絞殺死体を発見。アルバイト先のテレビ局から取材を命じられ、親友で厭世家の朱雀秀介(すざくしゅうすけ)と犯人を追うが、太平はヘマばかり。さらに第二、第三の殺人事件! 軽妙なセリフと快調なテンポで展開するテンヤワンヤの長編ユーモア推理の快作!
『蕎麦ときしめん』や『国語入試問題必勝法』でパスティーシュ作家として高い評価を得る前に書かれた、「躁鬱(でこぼこ)探偵コンビの事件簿」の第1弾。
楽天家の不破太平とマイナス思考の朱雀秀介、対照的な性格のコンビによるライトミステリー。書かれたのが1985年で、時代はバブル景気にさしかかる頃。登場人物のTVディレクターや女子大生が、その時代を感じさせる軽いノリの作品です。頭上からパンティが降ってくる物語の出だし、殺されるのが風俗に勤める女子大生など、品のない感じが当時の2時間サスペンスドラマの原作にピッタリだなと思ったら、実際にドラマ化されていました。
殺人トリックを暴くような作品ではなく、軽妙なセリフと快調なテンポで展開する犯人捜しの物語。口八丁手八丁で情報を集める太平と、イケメンだけど女性が苦手でマイナス思考の安楽椅子探偵型の朱雀のコンビは、今でいうところの”キャラが立って”います。ただ主人公コンビの背景は今後もあるから良いとして、第1被害者の背景がちょっと薄っぺらい。なぜ風俗に関わるようになったのかという部分を、もう少し丁寧に描いて欲しかったです。全体的には、さらっと読めるお手軽さが良いです。
注目する点は、太平がヤクザに捕まった時に切り抜けようとする方法。「目覚めさせるな」、「おれの……、体の中の魔獣を……」、「魔獣が……、目覚める……」といったセリフを言い放ち、雄叫びを上げます。オカルトバイオレンス小説(夢枕獏「キマイラ吼シリーズ」?)のパロディとのことですが、清水義範らしさの片鱗が見えます。また、今でいう厨二病的な行為が、この頃既にあったのかと驚かされます。
解説で野村芳夫さんは「清水義範という作家は途上にあるからこそ、固定的な評価を急ぐよりも、ダイナミックで流動的な接し方、読み方で臨みうる貴重な作家の一人」と述べており、後にパスティーシュの名手と呼ばれることになる、その才能について触れています。
CM殺人事件
発売日 : 1986年9月
三流広告会社のアルバイト学生不破太平は親友の朱雀秀介から人形の家を借りてCM撮影現場に持ち込んだ。だが、何者かによってドール・ハウスの中が殺人事件風にセットされていた。その直後、コピーライターの氏家がライトを落とされて大怪我をし、続いてタレントの三田村ちひろも…。新人類躁鬱コンビのシリーズ第2弾。
「躁鬱探偵コンビの事件簿」の第2弾。前作で不破太平がアルバイトしていたのはテレビ局でしたが、今回はCM制作会社へ変えています。情報収集役の不破と安楽椅子探偵型の朱雀が、CM制作現場で次々と起こる事故・事件の犯人を解き明かします。
解説で郷原宏さんがこの作品の新しさを説明してくれています。まず題名が新しい、アルファベットのあとにいきなり殺人事件がつく題名は珍しいとのこと。テレビやCM制作会社などのいわゆるギョーカイものが題材になるのも新しい。また、完全に対等なパートナーである探偵コンビも新しいと、これでもかと新しさについて述べています。
しかし、新しさというのは時代とともに古びてしまうので、この作品は今となっては目新しさのないライトミステリーになってしまいました。でも、魅力がないのかといえば、そうではありません。前作に続き躁鬱探偵コンビは活き活きとしていますし、前作ではあまり関わりのなかった不破の妹 菜摘も存在を示すようになってきます。このあたりは現在のキャラ文芸に通じるものがあるといえるでしょう。
そして、こちらも解説で「このシリーズで最もめざましい特徴の1つは、登場人物の会話が活きていることである」とあるように、やはり軽妙なセリフのやりとりが前作同様、ノリとテンポを産みだしています。90年代以降、ライトノベルなどでは会話で物語を進めていくことが多い印象ですが、それを86年の作品でやっているところがすごいのかもしれません。
今回も不満なのは、やはり人物描写がもの足りないところです。特にアイドル三田村ちひろの行動に疑問が残ります。もう少しなぜあのような行動をしたのか描いて欲しいところです。イニシャルがCMになることから色々想像したのですが……
今回は犯人の犯行動機がポイントになりますが、こういうのは好きです。
DC殺人事件
発売日 : 1987年7月
底抜けの楽天家、不破太平は、妹・菜摘のバイト先で起きた奇妙な事件に興味津々。だが、相棒の朱雀秀介は、もっか極端な鬱状態に。太平は妹の協力を得て素人捜査を開始したが、ファッション審査の前夜、一流モデルの岡野詩織が何者かに絞殺された!新人類躁鬱コンビ+菜摘がファッション業界に乱入。痛快シリーズ第3弾!
「躁鬱探偵コンビの事件簿」の第3弾。今回の不破は雑誌編集のアルバイトをしており、記者としてファッション業界に関わっていきます。相方の朱雀は極端な鬱状態になっていて、あまり活躍はしません。最後に登場して美味しいところをかっさらって行きますが……
朱雀があまり登場しない分、代わりに不破の妹 菜摘が活躍。ただ、前作までに比べるとノリやテンポがやや落ちている感じがあります。どちらかというと、軽いノリをなくして、ファッション業界をしっかり描こうとしたのかもしれません。DC(デザイナーズ&キャラクターズ)ブランドやハウスマヌカンなどバブル期の流行語も今となっては懐かしく、当時の業界の様子がよく描かれています。
構成としてちょっと面白いのが、第1章の前に本編のハイライトとして、遺体発見シーンや緊急搬送のシーンが描かれていること。殺人事件がなかなか起こらないので、あえて最初に予告して物語に緊張感を持たせているようです。
今回のメインは殺人事件ではなく、駆け出しデザイナーの出世物語といったところ。朱雀が最後の方でに登場して、スパッと犯人を特定するところは名探偵ものらしさがありますが、殺人事件が蛇足にも思えます。前作のドールハウス事件と同じく最初のいやがらせ事件が、現在でいうところの”日常の謎系”で、むしろこちらのほうが面白いと思えました。
M殺人事件
発売日 : 1987年12月
超ネアカ人間の不破太平は、アルバイトで人気作家・丹波格太郎に付いて1週間の密着ルポを開始。故郷講演後、高校時代からの同人誌仲間との旧交をあたためる丹波に同行して温泉へ。翌朝、露天風呂に飛び込んだ太平の目の前に丹波の死体が…!相棒の朱雀秀介も珍しく元気で、新人類パワー全開。大好評のシリーズ第4弾!
「躁鬱探偵コンビの事件簿」の第4弾。今回も前回同様、不破は雑誌編集のアルバイトをしており、推理小説作家の密着取材をするところから事件に巻き込まれていくことになります。
前3作は80年代当時のギョーカイものでしたが、今回は推理小説作家とその同人仲間にまつわる話です。容疑者全員推理小説作家という、なかなか興味深い構図。起こった事件に対して、実際の供述と推理作家としての見立てがあって、事件の裏の裏を不破は考えなければならなくなります。これが今作の見所といえるでしょう。
今回は朱雀や菜摘との軽妙な会話は控えめで、推理作家vs不破のやりとりが多くなってます。その分、このシリーズらしいノリやテンポが、前作よりさらに悪くなっている印象。殺人事件の謎解き自体はなかなか面白いですが、同じような会話の繰り返しが多く、途中でちょっと退屈に思えてしまいます。
解説で「ミステリー全般、推理小説のパターンやトリック、さらにファン気質まで含めた世界が、ここではパロディの対象にされているのだ」とあります。86年の『蕎麦ときしめん』でパスティーシュの手法を確立し、パロディ作家としての評価を高めた時期(87年)に書かれた作品です。ノリとテンポのユーモアから、今作は得意のパロディの手法に切り替えた作品といってよいのかも。
Y殺人事件
発売日 : 1989年1月
天性の楽天家・不破太平は、妹の菜摘とともに白馬・八方尾根スキー場へ。太平は、ペンションで女子大生6人のグループと親しくなったが、その中の1人・夏目貴代が行方不明に。翌朝、彼女は雪に埋もれ凍死状態で発見された!?新人類躁鬱コンビが現代のキャピキャピギャルを相手に、事件の真相を追う痛快シリーズ第5弾。
「躁鬱探偵コンビの事件簿」の第5弾。今回も特定のギョーカイものではなくて、スキー旅行で出会った女子大生グループにまつわる話。高速バスでスキー旅行、ボディコンの女子大生、脱サラしてはじめたペンションなどバブル期らしい舞台設定。
前作と同様グループ内で殺人が起こり、さらに関連する人が…… という展開で、前作と似たパターンですが、その内容は全く異なります。語り口は軽く、表面的にはユーモアミステリーですがが、20歳前後の若者の微妙な人間関係や心理を描き、犯人捜しの単純な面白さで終わっていません。
初期の『M殺人事件』や『CM殺人事件』では、ノリとテンポで読ませていたのですが、『DC殺人事件』以降は、登場人物の背景や心理をしっかりと描き、じっくり読ませてくれます。前作は同じような会話の繰り返しが多く退屈な部分もありましたが、今回は登場人物を多くすることで、飽きさせないようにしています。その分人間関係が複雑になっていますが、この複雑さこそが面白いと思いました。
主人公コンビも今回の女子大生も、新人類うんぬん言われた世代。この時は”新人類だから”と言われたかもしれませんが、今となってはそんな世代などにかかわらず、いつの時代も若者は傷つきやすいものだと思います。
「あの子たち全員、優しすぎて傷つきやすすぎて臆病なんですよ」というセリフが印象的。舞台設定は古くなっても、若者の心理は変わっていません。
W殺人事件
発売日 : 1990年9月
朱雀秀介のいとこが都内の某ホテルで結婚式をあげた。披露宴もたけなわの頃、トイレに立った秀介は、そこで男の絞殺死体を発見。相棒で超ネアカ人間である我らが不破太平は、珍・迷推理を発揮して事件を追うが、それをあざ笑うかのように第二の殺人が…。新人類躁鬱探偵団が、新たな出立を迎え大団円のシリーズ第6弾。
「躁鬱探偵コンビの事件簿」の第6弾で最終作。今回はウェディング業界にまつわる話。序盤はウェディングドレス選びや結婚式の進行など旧来的な価値観の部分を、清水義範らしいパロディで描いております。また、この頃に始まってであろうコンピュータを使った結婚相談所や、お見合い(ねるとん)パーティーなども描かれており、しっかりと時代を切り取っています。
殺人事件が発生してからは、いつも不破の行動力と朱雀の名推理で犯人をつきとめます。内容的には80年代中盤、女性誌やワイドショーを中心に報道が過熱した”ロス疑惑”も少し頭をよぎりました。前回はグループ内の人間関係を扱うことで若者心理を描いておりましたが、今回は登場人物を絞って、独身男性の焦りやプライドなど、事件の背景や心理がしっかりと描かれています。殺人の動機が哀しい。ただ、第2の殺人を連続殺人として捉えるのは、ちょっと無理があるかなとも思いました。
そして最終作ということで、不破の就職や朱雀と菜摘の恋の行方も決着がついています。2人の就職や結婚で無茶が出来る若者と呼ばれる時代は終わり、それとともに物語も終了となっています。
まとめ
以上、「躁鬱探偵コンビの事件簿」シリーズ全6作品を読んだ感想です。
1・2作目は、軽いノリとテンポで読ませるユーモアミステリーですが、3作目以降は語り口は軽いものの、犯人の背景や心理をしっかりと描いており、ただのユーモアミステリーで終わってはいません。
ミステリーとしては色々と突っ込みどころがあるかもしれませんが、80年代後半バブル期の空気と、そこに生きる人間の心理をしっかりと描いております。バブル期を過ごした人は懐かしく、バブル期を知らない世代には新鮮に読めると思います(本格ミステリではないので、犯人がすぐわかったとか、そういうのは無しでお願いします)。
清水義範は81年の『昭和御前試合』でパロディの才能を見せ、86年の『蕎麦ときしめん』でパスティーシュの手法を確立、88年に『国語入試問題必勝法』で第9回吉川英治文学新人賞を受賞しています。この「躁鬱探偵コンビの事件簿」シリーズは85~90年に渡り、年1作のペースで6作品が書かれました。ちょうど作家としての地位を確立していく時期に書かれたものです。
個人的にオススメを挙げるなら、テンポの良いユーモアミステリーとして2作目の『CM殺人事件』を。もうひとつは80年代後半の若者の心理を描いた良作として、5作目『Y殺人事件』を。清水義範初期作品としては珍しく電子書籍化されていますので、現在でも容易に読むことが出来ます。