さて、今回はスニーカー・ミステリ倶楽部のミステリ・アンソロジー第4弾、『殺意の時間割』を読んだ感想です。
ミステリ・アンソロジー 4 殺意の時間割
著者:赤川次郎、鯨統一郎、近藤史恵、西澤保彦、はやみねかおる
イラスト:藤田新策
文庫:角川スニーカー文庫(スニーカー・ミステリ倶楽部)
出版社:角川書店
発売日:2002/08
魔法のように「時」を操る、5つの不可能犯罪! 娘を助けた男の、奇妙な頼みごと〈命の恩人〉。究極の安楽椅子探偵がテロリストと対決〈Bは爆弾のB〉。お人好しカメラマンが巻き込まれた、せつない事件〈水仙の季節〉。完全なアリバイのある少女が殺人を認めたのはなぜ?〈アリバイ・ジ・アンビバレンス〉。肝だめしに挑んだ少年は誰に襲われたか〈天狗と宿題、幼なじみ〉。名手たちによる書き下ろしアリバイ・アンソロジー!
読んだ感想
命の恩人 / 赤川次郎
前作の泡坂妻夫に続き、大ベテランの登場です。赤川次郎といえば、長編デビューはソノラマ文庫の『死者の学園祭』ですし、コバルト文庫でも80年代から活躍しているので、スニーカー文庫に作品があってもおかしくないと思うのですが、このアンソロジーが初登場のようです。
内容は新幹線ホームから転落した、主人公の子供を助けてくれたのが、とある会社社長の息子で、会社の跡取り問題に巻き込まれるというもの。アンソロジーのテーマに沿ったアリバイモノですが、スニーカー文庫にしてはちょっと大人の物語に思えます。良い話だとは思うんですけど。
この作品から考えるに、やはりスニーカー・ミステリ倶楽部は10代の少年少女向けというより、もう少し上の年齢層を意識していたのかも。
なお、この作品は後ちに発売された角川文庫のアンソロジー『赤に捧げる殺意』にも収録されています。
Bは爆弾のB / 鯨統一郎
『ミステリ・アンソロジー I 名探偵は、ここにいる』に収録の「Aは安楽椅子のA 」の続編。聴力を失った替わりにモノの声が聞こえるようになった堀アンナ。今回はいきなり出だしから、恋人がベッドの上で爆死という衝撃のスタート。このシリーズは主人公がとことん不幸になるようです。
前作から耳が聞こえないという設定に若干の無理を感じていたのですが、コンビとなる恋人が死んでしまうため、よりいっそう苦しくなっています。読唇術を使って会話をするのですが、さすがにそれだけでスムーズな会話ができるのはおかしいし、刑事が家に訪れた時、ブザーに反応するという決定的なミスもあります。ここまで来ると耳が聴こえないという設定が足を引っ張っているとしか言えません。
細かいことは気にせずに楽しむユーモアミステリ(バカミス?)と、考えればよいのかもしれませんが、ちょっと素直に楽しめませんでした。
この作品は後ちに『堀アンナの事件簿 1 ABCDEFG殺人事件 』(PHP文芸文庫)に、「Aは安楽椅子のA 」ともども収録されています。
水仙の季節 / 近藤史恵
双子モデルのマネージャーが殺される。疑わしい双子モデルにはそれぞれアリバイがあって…… という、双子モノ。双子でアリバイでとなると、アレね、とだいたい分かるのですが、その方法は如何にといったところです。
カメラマンを主人公に、グラビア撮影シーンなど芸能界絡みを舞台にしているのは、やはり10代が興味を持ちそうなものを意識したということなのでしょう。ミステリ入門としては良い作品だと思います。
この作品は後ちに発売された角川文庫のアンソロジー『青に捧げる悪夢』、また近藤史恵の短編集『ダークルーム 』(角川文庫)にも収録されています。
アリバイ・ジ・アンビバレンス / 西澤保彦
アリバイがあるのに自身が殺したと自供する少女。誰かをかばっているのか? それとも……
アリバイをテーマとしたアンソロジーで、単なるアリバイトリックを使った物語ではなく、アリバイをめぐる物語になっているのが面白い。『ミステリ・アンソロジー I 名探偵は、ここにいる』に収録された「時計じかけの小鳥」もですが、西澤作品は短編ながら非常に読みごたえのある作品になっています。
この作品は後ちに発売された西澤保彦の短編集『パズラー 謎と論理のエンタテインメント 』(集英社文庫)にも収録されています。
天狗と宿題、幼なじみ / はやみねかおる
『僕と先輩のマジカル・ライフ』の快人と春奈が小学生時代の物語。地域の長老から聞いた昔話、天狗を見たというナゾを快人が解くことになります。ジュブナイルミステリの名手として知られる著者ですが、ちょっとこの作品は不可解なところがあります。以下ネタバレあり。
事件の肝はシンスケが道をショートカットしたことですが、この方法について全くわけがわかりません。普段持っている木刀を竹馬に隠していたとのことですが、この木刀や竹馬をどう使ったのか、深さ3メートル、幅20メートルほどの「天狗の爪痕」をどうやって渡ったのか全く説明されていません。
「木刀は腰に差して、天狗の爪痕を渡った」とだけあるのですが、ロープでも使わないと渡れないところを、どうやって渡ったのでしょう? お札の謎や幽霊どうこうは付加的なもので、ここが1番のポイントなのに説明無しでは、推理小説として成立していません。
この作品の感想を調べてみたのですが、この点に触れられているものがなくて、どう理解してよいのかわかりません。竹馬をつたって一旦天狗の爪痕の底まで降りて、また登ると時間はかかりそうだし、竹馬で渡るのなら竹馬はそれなりの高さが必要になります。運動神経それほどのシンスケがそんなあり得ない高さの竹馬を操れるのでしょうか? 読んでいて最後の最後で、?だらけになってしまいました。
アンソロジーの最後にこの作品があって、全体の印象が悪くなってしまいました。残念。
なお、この作品は後ちに発売された角川文庫のアンソロジー『青に捧げる悪夢』にも収録されています。再録のときになにか加筆でもあるのかな?
まとめ
今作はアタリハズレのあるアンソロジーのように感じました。どれがアタリでどれがハズレかはそれぞれの感想を読んでいただければ。
今回読んでいて思ったのが、スニーカー・ミステリ倶楽部のアンソロジーはどこを向いていたのかということ。読む前はベテラン推理作家にスニーカー文庫を読む層(10代の少年少女)に向けてミステリを書いてもらい、ミステリの入門書を目指していたのかと思っていたのですが、どうやらそうでなさそうだなと。
前作の泡坂妻夫作品や今作の赤川次郎作品を読むと、スニーカー文庫というレーベルらしさを考えられていないのかなと。読みやすさわかり易さという点では良いのですが、舞台や人物設定などでそれらはあまり見られません。編集側がそれらを求めなかったとも考えられるのですが、それであるならば”スニーカー文庫スニーカー・ミステリ倶楽部”でなく、角川文庫のアンソロジーで良かったということになります。
もちろん全部が全部スニーカー文庫らしい作品、10代向け作品でなくても良いでしょうが、コンセプトとして揺らいでしまいます。このあたりがスニーカー・ミステリ倶楽部が短命に終わった理由なのではないかと思ったのでした。